08/08/19 11:50:15
>>457続き。
以上が堀井自身の言葉による「調整」の説明。
つまり、「調整」という現象は
a. 中心は経済と人的混交
b. 人類の黎明期から続く現象
ex)征服、革命、一揆・打ちこわし、文化受容など
ということしか定義されていない。ついでに言えば、お前の
解釈は不十分だし外れてるよ。>>438の定義
① 人間が、(地球・宇宙などの自然)環境への適応
② 人間社会(人との間)で、生きる上で発生する現象
①は「経済と人的混交」という中心から逸れている。
②は定義が広範すぎる>>450ため、上記ex)に挙げられた
外延的定義を包含こそすれ、明らかに堀井の言う「調整」より
定義域が広い。従って、お前も堀井も「調整」の意味内容を
十分に限定していない。これが「調整」の具体的不明確点。
> 自覚してるから書いてます。
> では、あなたは、生きる上で、必ずついて回る
>「確定不可能性」に対して、(自覚無・自覚に関わらず)
>どのような処理をしているのですか?
わかってて鵜呑みならそれでいいと思うよ。それが「普通の宗教」ってもんだ。
まあ、それは同時にPMも既存の宗教となんら変わらないということでもあるんだけどね。
後半部分。俺は完璧主義じゃないから、この世に不確かなことがあるのは当然だと
考えてるんだよ。今から3分後に突然地球上でニュートン力学の法則が総崩れになった
としても、それはそれで順応するしかないでしょ?俺は「間違いの可能性」があることに
不安を感じないんだよ。だから、「確定不可能性」を無理に処理する必要がない。
「確定不可能性の中に埋没し、自らも変化し続ける存在であることを受け入れる」とでも言えば分かりやすいかな。