08/08/15 18:55:30
>>253
いやあ、「調整」を前提に演繹的論理を構築したら
言ってることがあんたと全く同じになっちゃうでしょ。
「調整」の意味の範囲を限定しない限り(とは言っても、
あんたにとってはもう「十分に限定している」んだよな)、
世界の全ての社会現象を「調整」で説明することすら
可能なんだよ。そんなの「神の意思」となんら変わらない。
まずは「調整」を内包的に定義すること。これは馬鹿にわからせる
ための「説明」ではなくて、自分自身の思考を明確化させるための
「意味の限定」だよ。んで、あんたの結論は>>15だったね。
>あなたの理屈だと、一言一句についての厳密性を巡って、無限後退する
>ことになり、永遠に他者とcommunicationが取れないことになる。
あんたにとってのcommunicationってのは、あんたと同じ世界認識に立って
あんたと同じ思考プロセスで「ツーカー」の会話をすることなのかい?
残念だけど、communicationっていうのは「本質的にはシニフィエを
絶対に共有し得ない他者」同士が、なるべく近い認識を共有するために
様々な伝達手段という道具を使って分かり合うための努力をすることを言うんだよ。
分かってもらえなければ言う価値はない、なんてのはcommunicationではない。
概念を曖昧にして(ちょうどあんたのARのように間違いを許容して)なんとなく
分かり合っているつもりになることこそ「communicationごっこ」なんだね。
>>11より
>あなたのこの表現に数多くの「中佐半端さ」「曖昧さ」が孕まれていて、
>いくらでも細分化できることを自覚してください。
こう思うんだったら、あんたの現実・世界認識の根幹である「調整」を、
「中佐半端さ」「曖昧さ」が残らないよう徹底的に追求してみなよ。