08/07/13 23:01:47 Tt2Ay4/10
>>243
補足します
鉄道を敷いた場所は当時の郊外って事になる訳です。石川両岸に墓地が多数ある
と思いますが、古くから集落があった証拠です。当時の集落は大きくても富田林
の寺内町程度の規模だったものと思われます。
それから矢田や三宅は大和川付け替え工事後に発達した地域ですね。付け替えに
よって僻地から新幹線駅前に一気に出世ですよw
南河内の歴史というのはほんとに面白いです。
1世代目 石器時代 海岸線が藤井寺辺りだった?
2世代目 いつしか海面が下がり(隆起?)旧大和川&石川水運時代が長く続きま
す。
3世代目 大和川付け替え工事があり、今の形になります。洪水の恐れの無くなった
八尾、東大阪が急速に発展します。川沿いに矢田や三宅などの地域が発達します。
4世代目 鉄道が開業。旅客は100%鉄道に奪われ、貨物だけが水運で残る。
5世代目 現代 大和川と石川には堰がつけられ完全に水運は消滅。モータリ
ゼーションにより新たな都市の形を形成。