08/07/13 20:57:19 Tt2Ay4/10
>>228
鉄道敷いた頃はタダみたいなもんだったんじゃないの?w
近鉄線が全通するのは昭和4年。
明治31年に柏原~富田林開業、明治35年富田林~河内長野開業。
大正12年に道明寺~阿倍野橋開業。昭和4年に古市~吉野開業。→現在の形になる。
鉄道が敷かれる前は奈良県及び大阪府南河内は水運で栄えていた街です。
旧大和川と石川沿いに発展していました。鉄道もそれに沿うように敷きましたね。
道明寺~阿倍野橋は単に国鉄に対抗して敷いただけです。道明寺から古墳の間を
縫うように西へ西へと進路を取りますが、天王寺へは北上しないといけません。
当初高鷲あたりから右へ曲がる予定だったらしいが、三宅村(現松原市三宅)が
大反対して、さらに西へと進路を取る事になり、現在の形となったらしい。
明治10年の地図を見ると現松原市・羽曳野市・藤井寺市・柏原市は田畑の広がる
地帯です。寺社と古墳の近くに数件家が建っている村があるだけです。
恵我ノ荘・高鷲駅のあたりは全く何も無く羽曳が丘から大和川まで田んぼが広がっ
ています。このスレで話題の東除川南の当該地区周辺に人家は全くありません。
いつから同和地区として栄えるようになったんでしょうか?鉄道の開業で引っ越し
してきたのですか?それとも出生率がとんでもなく高かったんですか?
もしくは江戸時代から栄えてたけど明治10年の地図には書かれていなかったとか?