08/07/20 23:14:04 yYmsNAVU0 BE:797175555-2BP(2003)
1960年(昭和35年)10月12日
山口ニ矢(おとや)当時17歳。
『読売新聞』ではなく、『朝日新聞』であったら、この事件は起きなかったかもしれない。
…というのは、
朝、中野区本町の自宅で読んだ『読売新聞』の「十二日の会議」という小さな欄には、
<三党首演説会(後二時、日比谷公会堂)>とあった。
『朝日新聞』の「今日の予定」欄には、他のすべての会合が載っているにもかかわらず、
ただひとつ「三党首演説会」だけは載っていなかったからだ。
山口はこの1行を見逃さなかった。
この日、演説会が催されることを初めて知り、行動を起こしたのだった。
山口家では別にこれといった理由もなしに、『朝日新聞』か『毎日新聞』を購読していたが、
拡張員に強引に勧誘されて以来、その数ヶ月前から『読売新聞』を取るようになっていた。
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汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている。
自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、
訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない。
ここに於て我、汝に対し天誅を下す。
皇紀ニ千六百二十年十月十二日
山口ニ矢
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