07/11/08 19:37:49 DjRyrsKU0
実家から車で二時間ほど離れた、川沿いの細長い地区、その入り口に義民塚というものがある
国道沿いに目立つように佇立し、通り掛る人の目を誘う
塚はかつてその村の共有財産であった山を、藩が召し上げ、
それに反対し、一揆を起こして散っていった、勇敢悲壮な先祖を祭るものである
行く道に目を戻すと、ずらっと奥まで立派な田園と家々が立ち並ぶ
誰もが直ぐに、義民達の末裔が住んでいるのだな、と解る
そうして、しばらく車をすすめると、川向に集落が見える
其処は今の今まで見てきた家屋と比べ、どれも惨めなほどに貧相で、色あせたトタン板が悲しい
同和地区である
川を挟むと別世界というこの状況は、義民塚に理由が隠されている
かつては、双方ともに差別の意識無く共生し、分け隔ての無く暮らしていた
しかし、共有山事件と、藩の対処がその関係を壊した
義民兵の鎮圧に被差別部落民を用いたのである
被差別部落民には、一揆の発生を防止する役人としての立場があった
藩は共に暮らしてきた、同じ村民同士を殺し合わせたのだ
前述の通り、義民兵は鎮圧、処刑の憂き目に遭う
村は再び日常に戻る。だが、以前の日常はもう無い
そして差別が始まった
義民兵の末裔は、子孫に先祖の勇猛を誇り、その血を継ぐ事を伝える
そして話をする上でどうしても、あるいは進んでか、彼らの命を奪った人間の話をする
その末裔がすぐ近くで暮らしていることを、川の向こうに居ることを
成長し、大人になると、多くは地元で働き、雇う立場になる
だが同和地区の人間は雇わない、雇われても出世は望めない
金が無く村を出ることも叶わず、周囲の静かな怨嗟の中、生きるしかない
負の連鎖は今も続いている
読み易いよう工夫したら出来の悪い評論文みたいになったな。でも全部事実(何処とはいえんが)
被差別部落問題には、こうした派生発生的な物も含まれている事も憶えておいて損は無いと思う