08/05/23 12:54:14
たとえば一般論として煽りや荒らしに対してどう対処すべきか、っていう議論の中で
出す意見ならわかるよ。
そこで「煽りにはマジレスしないほうがいいですね」ならわかる。
俺がどういう考えを持ちどういう行動をする人間かわからないのだから。
俺だって議論の中での話ならいちいち不快感を表明したりはしない。
だけど俺が実際に彼の目の前で煽りに対して反応している現状があるのに
「この人はわたしと同じ価値観だ」と思いながら「煽りにマジレスしなくても」と注意をしたのだ、
っていうのは目が見えてないか、頭がおかしいか、もしくは後から辻褄を合わせてるだけだと思う。
俺はある種の文化差別とか「宣教(価値観の押し付け)」というのは悪意というより善意から起こるものだと思う。
西洋人がアジア人に対してよくやる色んな形での「グローバリズム」も同じだけど、
その価値観を持てば誰もが幸せになると彼らは思い込んでいるのだな。
「人間ならみんな民主主義や自由平等を幸福だと思うはずだ」という。
ただ、受け止める側は必ずしもそう思わない。そこには無意識レベルでの壁がある。
だから「宣教」する側は、相手が反発するとこう思うわけだ。
「一意見として、善意で言って<やってるのに>なんで反発するんだ。
反対するのは<構わない>がそんなに感情的になる<必要>があるのか」
しかしこの発想そのものが、相手を下に見ている傲慢な感覚なんだよ。
相手の意思や思想を確認もせず突然価値を押し付ける行為の乱暴さに気づいていないんだよ。
俺はそれを指摘しているだけ。