08/06/27 18:32:41 3jdEKQ8n
>>147の続き
確かに小林が「可能性」の議論について更なる留保をし、
まほろばについても、
〈これに依ればわしの瞬間的に浮かんだ予測は外れだったらしい、だがわしは単なる瞬間的な予測に止まらず、念には念を入れて十分検討を加え、責任を果たしたと考える。
さて田中正明を信用しているのならば、何故この資料を持ち出して来なかったか、
それはわしの瞬間的な予測が外れるのが怖かったためか、という批判があるが、後者はあまりにもくだらない批判である、上の説明で十分だ。
このわしが、いや、わしでなくともその程度のことを怖がる奴などほとんどいないと言ってもよいだろう。
そもそもこの程度のことを取り上げ、一々説明しなければならなくなるとは夢にも思わなかった。
前者についてだが、この資料からすればパールが護憲に反対であることは決定的に明白になる、だが、敢えて持ち出さなかったのは、これも当たり前の話だが、
平成10年までに平和憲法に関するパール博士の考えについて一度も書かなかった田中氏が、突然講演に持ち出したのだ、しかも平和憲法「批判」する方向で。
わしとしては信用したいところではあるし、おそらくパール氏なら平和憲法を批判して当然だとも考えるが、残念ながら全ての資料を検討した結果、氏が占領基本法を批判していた時期でもあり、
先人に対して忖度するようなことは避けたいのだが、資料の信憑性について論じている最中、特に田中氏の改竄問題の理由で信憑性が疑われている以上、
信憑性に疑問があるという批判自体は避けられず、「証拠」としての価値そのものは少ないと言わざるを得ない。
以上が、わしが今回の「論争」で「証拠」として「まほろば」を用いなかった理由である。注意しておくが、あくまで「証拠」として用いなかった理由である。〉
とのように言ってりゃ「完璧」だろうが、俺はそこまでなんでもかんでも要求するほど残酷なファンでもない。
中島のいやらしさ、汚さ、卑怯さ、の方が遥かに大きい問題だと考える。
最後に、小林が憲法9条にガンジー主義の文言を挿入すれば、それを認めることについてはあんたに>>129で言われるまでもなく>>92で既に説明している。