08/01/17 19:26:18 OAh2X6cm
すべての現実は文化を偏在させ、
かつ文化は現実を媒体として、絶対的概念に到達する。
ヘーゲルの弁証法が理念において歴史を停止したにも関わらず、
地上的な歴史が軋みを立てて動いたのは、
彼が「ある」ものを「ない」ものと言いくるめ、
「ない」ものに名辞を与えたからだ。
すべてが文化から演繹されるならば、「行動」への意志など生まれ得ない。
「ある」のは調和と秩序である。
あるいは絶対的概念の疎外感に対する反抗がラディカリズムを生むのか。
だとすれば疎外感の排除で事は収束するだろう。
己の立場の無限肯定。
「言葉」が外在的であった事に始まるのだ。
言葉の崩壊が経験への無限回帰を産むのか。
言葉はまるで玩具のように取り扱われているのか。
すべてが不毛なのだ。