08/03/31 17:56:52 KljxdxaF
(A10のつづき、ただし、蛇足的)
言うまでもなく、ここでの焦点は国民の主権なわけですが、
憲法は国民の主権について次のように述べています。
“そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであつて,その権威は国民に由来し,
その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり,この憲法は,かかる原理に基くものである。
われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する。”
つまり、国民の主権を否定するようなことは、憲法改正や憲法制定によってでさえ
出来ない、言わば前憲法的な権利だと言ってるわけです。従って、
主権の有無に関しては、憲法に明記する必要は必ずしもなく、
主権者が誰であるかを示す民主主義が憲法に明記されていないことは、
このことが憲法以前のことを表していているという意味で適切であるとも言えます。
以上のことから、「誰が主権者であるか?」については、国籍法はおろか、
憲法自身も含め、およそ明文化されたあらゆるものが、「それで確定」を意味しません。
主権は立法(立憲・文書の権威化)によって生じるものではなく、それ以前にあって、
その立法の根拠になるものです。
しかし、だからといって権力者が「おまえは非国民(非主権者)だ」などとやっていいわけはありません。
これは明らかに憲法前文や15条に違反しています。
要するに、「誰が主権者であるか」については、「これで確定」といような自明な条文や理論はなく、
そのかわり、「これではダメ」という否認が出来るのみでありと言えます。
科学哲学に詳しい人なら気付くかもしれませんが、これは反証主義などにおける真理の
取り扱いと同じです。実証はそのそも不可能であり、たとえ検証されたとしても、
それが間違いである可能性はいつでもあり、真理の地位は得られない。我々は
理論を実証することは出来ず、ただ、間違った仮説(理論)を排除していけるだけであると。
民主主義だって同じです。多くの者が民主主義を憲法に謳われているものとし、
日本政府が国是と名言しても、民主主義が「誰が国民であるか」を決める理論であることが
確定するわけではありません。>>1(オレ)に確定を求めるのは筋違いです。