08/06/28 22:07:39 IvWB3f4w
>>279
あまり詳しくないが私見を述べると、用語の意味というか定義が曖昧な
まま記述することは誤謬につながる。
そこで、縄文人やアイヌとは「考古学的概念」の範囲にあると定義すれば、
「アイヌは縄文人ではない」と言うことになる。
なぜなら考古学とは、「遺跡や遺物によって、古代の人類の生活や文化を研究する学問」
であるから。DNA的な見解を強調したとしてもあくまで学説の補助的なものでしかない
のである。
大和朝廷は在来の縄文人と少数の渡来系弥生人が共に協力し、時に争いながらも混血し、
縄文文化を根底に残しつつ、漸進的に弥生文化を発展させる過程で生じた諸豪族を併合
した分権的国家の中央機関であったと思う。
隼人、熊襲については諸説あるが、隼人という名称は南九州の住民を7世紀後半以降
の中央政府が呼んだものであるということ。大隅隼人、日向隼人、薩摩隼人と異なって
呼ぶ場合もある。隼人は熊襲(曽)の一部であると考える。渡来系弥生人との混血が少なく、
海人との関連性や江南との結びつきがあったと思う。