08/02/21 19:54:30 4efYGCkB
ホンマカイナ?
ネタ元が元だけに( -_-) アヤスイ
中東大戦争が近い?
URLリンク(www.tanakanews.com)
2月12日深夜、シリアの首都ダマスカスで、イマド・ムグニヤ(イマド・ムグニエ)が暗殺された。
ムグニヤは、シリアの隣国レバノンのシーア派政党(武装組織)ヒズボラの最高幹部の一人で、
ヒズボラの対外軍事諜報部門の責任者を長くつとめていた。
米イスラエルの諜報機関は、ムグニヤは最も手強いテロリストの一人であると考えてきた。
話は米軍が初めてレバノンに大規模な進駐をした1980年代初めにさかのぼる。
当時、ヨルダンやシリアからレバノンに大挙移動してきたパレスチナ人ゲリラがイスラエルに
ゲリラ戦を仕掛け、対抗してイスラエル軍がレバノンを侵攻し、米軍もイスラエルに引っ張られてレバノンに進駐した。
だが米軍は、1983年にレバノンの首都ベイルートの海兵隊司令部が自爆テロで爆破され、
米兵ら数百人が死んだ事件をきっかけに、レバノン進駐に消極的になり、撤退した。
この海兵隊司令部の爆破テロを指揮したのが、まだ21歳だったヒズボラのムグニヤだった。
米軍の撤退後、イスラエルはレバノン占領の泥沼に陥り、2年後にはレバノンの支配権を
シリアが取り戻すことに渋々同意して撤退せざるを得なくなった
(イスラエルはレバノン南部の国境地帯だけは支配した)。
これ以来、ムグニヤはイスラエルの宿敵となり、戦いを挑まれたムグニヤは
ヒズボラの対外軍事諜報部門を発展させて対抗した。(関連記事)
イスラエルの撤退後、レバノンはシリアの覇権下で安定し、
1992年にヒズボラは武装ゲリラ組織から政党へと発展した。
レバノン南部の国境地帯でのイスラエルとの限定的戦闘以外の戦闘を放棄した。
国際テロなど在外軍事行動を行っていたムグニヤの組織も、
情報収集や政治工作だけを行う方針に、少なくとも表向きは転向した。
しかしそれ以後も米イスラエルは、ムグニヤがアルカイダやイラクのテロ組織と連携していると警戒した。
911事件が起きた直後には「ムグニヤの犯行かもしれない」
「ムグニヤに比べたら、ビンラディンなど子供みたいなものだ」と指摘されている。(関連記事)