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「ブット後」へ政治勢力始動、犯人グループの特定は難航
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【イスラマバード=佐藤昌宏】パキスタンのベナジル・ブット元首相が27日に暗殺された事件で、
同国の各種政治勢力は、「ブット後」の勢力拡大に向け早くも動き始めた。一方、事件では国際
テロ組織アル・カーイダの関与説が28日に浮上したが、アル・カーイダはパキスタン国内に多数の
関連組織を擁し、実行グループの特定は難航が必至な情勢だ。
内務省報道官は28日、ブット氏暗殺犯について、「背後にアル・カーイダがいたとしても少しも
不思議でない」と語ったが、具体的な犯人グループは特定できていないことを明かした。アル・カーイダは、
2001年末の米英軍による攻撃によりアフニスガン領内から放逐されて以降、アフガン・パキスタン
国境地帯に本拠地を移転。インドで爆弾テロなどを実行しているイスラム過激派「ラシュカレ・タイバ」
などとも連携し、傘下組織や同調者を含めると「国内に少なくとも数千人」(地元記者)規模まで勢力を回復した。
政府は、部族地域に9万人規模の軍、治安部隊を投入し、掃討作戦を展開しているが、成果は乏しい。
過激派は軍情報機関「統合情報部(ISI)」と歴史的に関係が深く、軍部が過激派対策に手を抜いている、
との指摘もある。さらに軍部は、対インドや対アフガン工作の手駒として過激派を温存したいとの思惑もあり、
過激派封じ込めを唱えるブット氏への警戒感をあらわにしていた。
自身は穏健派信徒であるムシャラフ大統領は、出身母体の軍部が権力維持の唯一の頼みの綱で、
軍部の方針には原則的に同調せざるを得ない。ブット氏とは先に「政権の共同運営」で原則合意したものの、
米国から「軍部に引きずられないためのお目付け役」としてブット氏との“縁組”を強要された、
と受け止めていた節もある。このためブット氏の死去で、ムシャラフ氏の軍部への傾斜が一層進む
公算は大きい。政界でもブット氏死去の受け止め方は複雑だ。主要野党「パキスタン・イスラム
教徒連盟ナワズ・シャリフ派(PML―N)」総裁のナワズ・シャリフ元首相は27日、
「国を挙げてブット氏殺害の復讐(ふくしゅう)をしなければならない」とし、ブット派との
「連帯」を唱えた。だが、両者は元々、政権を争った2大政党のライバル同士。ブット氏の
事実上の個人政党だった「パキスタン人民党(PPP)」は、指導者を失って衰退が確実視
される中、ナワズ・シャリフ派が人民党の離党者を吸収し、今後の選挙で伸長を図る可能性は高い。
また、ムシャラフ氏与党の「パキスタン・イスラム教徒連盟カイディアザム派(PML―Q)」
も、一時はブット氏の人民党との連立を模索したが、「与党のうまみ」が減るのを恐れ、
ブット氏を批判する選挙広告を掲げるなどしてブット氏をけん制していた経緯もあり、
ブット氏の死去を党勢拡大の好機と受け止めている、との見方もある。(2007年12月28日21時29分 読売新聞)