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其の五「周囲に不快感を与えたのだから虐められても仕方がない」
不快感を解消するための口実でしかない。そもそも不快感の原因はそれを感じる各人の固定観念であり自業自得。他人のせいにするのは筋違いである(虐められた不快感も同様。下記リンク先参照)
其の六「虐めは本能、必要悪」
本能とは呼吸・睡眠・摂食のように「生命維持に欠かせない行動」をいう。「虐めてないと死ぬ」という人はいないので本能ではない。必要悪とは自動車のように「危険性・環境負荷」を孕んでいても「利便性・経済効果」が上回るような事を言う
これらの理屈は、虐めによって快楽を得る側の自己正当化及び精神的未熟さの露呈に過ぎない
但し虐めをすると大量の脳内麻薬が分泌され猛烈な快感を味わうがこの仕組み自体は本能である。虐めを繰り返す者はこの脳内麻薬への中毒・依存症が強いあまり、他人の気持ちを汲み取れない精神錯乱状態にあると言える。非難や制裁以前に監察や治療を施すべきである
其の八「虐めは無くならない」
多くの名も無き人々の不断の努力により人知れず解決している事例は幾らでもある。大きく報道されることだけが全てではない。(地球上から)という条件付であればただの極論であり、単独では主張する意味がない
其の九「虐めをしたら厳罰に処すればよい」
飲酒運転と同じで、安易な厳罰化や一時的な対処は問題の陰湿化・冗長化を招くだけである
其の十「虐められる側を助けるべき」
緊急事態なら間違いではないが、真に救うべきは”愛に飢えた”虐める側である。被害者を救う必要はない。加害者側を救えば被害者は自動的に救われる。その事を無視して被害者のみを救おうとする行為は自己満足に他ならない
其の十一「虐められることは恥ずかしい」
虐めることの方が恥ずかしい。大人になってもやってる(虐待等)としたらもっと恥ずかしい
以上を読んでも尚「虐められる側にも原因が」と主張する人は、己の非(愛の欠如)を認めたくないか感情に自己責任が取れてないか、さもなくば読解力がないのである
現実(外界)はそれを見る心(内界)の鏡
スレリンク(philo板:1-3番)