06/10/29 20:02:29 0
観念は具現化する ◆mL2ZRk1cKの主張は理解した。
感情の原因は個人の固定観念だという事のようだが、生得的な反応(本能的な反応)は除外している。
しかし、価値観は本能の上に成立していくものであるから、これを除外しては何も語っていないのも同然。
動因があるから、何かをしたい、何かをするのは快・不快だ、因ってこの何かは~だという意味付け、
価値観が構築されるのだから、それに関連する価値観を除外してしまったら、何も残らない。
まあ、その点については措いておくとしても、
>誰かを怒らせたり悲しませても、相手が自前の了見・価値基準で勝手に感じている事なので、
>貴方が後悔や自責の念を感じる必要は一切ない
当然過ぎる。相手がそういう感情を持ったとしても、それを表出しなければ自責の念を感じるわけがない。
これをするには他人の感情を何の表出も無しに認識できなくてはならない。取り敢えず超能力が必要。
後悔するには、この先が不可欠。怒りに燃えた相手が自身に痛恨の一撃をくれた時に後悔する事になるわけだ。
と、具体例では勘違いされるかな。痛恨の一撃でなくても、無言で席を立つ、悲しげな笑顔で微笑む、
といったような事でも、それを望ましくないと判断する価値観を自身が持っているなら、自責の念に苛まれよう。
それ以外にも、自分で悪い事だと判っていてやったのなら、後悔する事もあるだろうが、
これは相手の感情とは無関係な話なので、相手の感情の責任云々とは関係が無い。
結局、感情とは相互の関係(体内・体外を問わず)によって発生するものなのだから、
その一部だけを切り取って、そこに全ての原因を求めようとするのは間違いであろう。