06/09/25 16:46:00 jDw+CMzg
国家論争について考察したら、日本のアイデンティティーそのものに行き着いた。それを何回かに分けて投下する。
愛国心を推し進める側(皆が国家を歌うべきとする側)と、国歌を拒否する側(自分は歌わないとする側)。
この相反する主張を持った両者の中に実はとても似た部分を感じる。
それは、彼らも本当は自分のアイデンティティーがしっかりしていない場合が結構多いのではないか、ということ。
論争で強硬な主張や意思表示をする人々、かたくなになる人々、或いは攻撃的になる人々の中に、アイデンティティーを形成するより前に外部からイデオロギー
的な考え方を自己の中にダウンロードしてしまったような印象の人が目に付いたことがある。そのため、外部の思想に
アイデンティティーを依存したような状態になっていて、自分自身のアイデンティティーは育たない・形成されないといった感じ。
むしろ、そうなってゆくことを阻害された状態といっていい。思想に基づいたアイデンティティーであって、アイデンティティー
に基づいた思想ではない(そういうタイプの人をうまく集めて利用すると、カルト的な組織を作ることも出来る)。
このように、アイデンティティーと外部からの思想が癒着してしまい、それに依って主張が成り立っている
と、自分の主張(依存する思想)とは異なる主張に出会ったり、反論に出会ったときどうなるか。
私が知っている例では、とてもかたくなな態度になったり、異なる主張や反論をした相手を敵視したりする。ときにはその人の人格を攻撃し始める。
話がずれたり大げさになったりもする。そして、感情的になったり、傷ついて怒りを持つ場合さえある。
それは、彼らにとって、自分の人格を傷つけられたり否定されたりするのと同じ意味を持つから。自分を守るために、かたくなになり、攻撃的になる。
また、反論はしないものの、主張を受け入れない相手に対しても非難を向けることが多い。場合によっては
自分たちの価値観を受け入れないことが倫理的に間違っていると感じることもあるようだ。