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信州の童話 - 暇つぶし2ch5:名無しさん@お腹いっぱい。
07/09/19 11:38:47 Xb7zAhEr0
手記『私と部落問題』 小林利逸(SBC→ラジオ関東) 「早大部落問題研究会報 9号 1958年」

私が部落の存在を実際に知ったのは昭和18年5月、大阪から長野県の松本市外、○○○村(現在は市に合併さる)に疎開して以後です。
村の13地区のうち、★★町という1地区がはっきりと他の地区から区別されて、部落民ばかりかたまって生活していました。
そして、私は当時小学校の4年生でしたが、学校の往き復りには、丁度私達の地区と学校との中間点に位置する★★町の傍の道を走って通り過ぎることを、
仲間から教えられました。

クラスにも数名の部落出身者が居ましたが、表面は級友にも、教師にも差別の表れはないように見えましたが、
実際には席順が同列になることを避けたり、いやがったりする傾向があったり、遊ぶときもひとつのグループとしてなんとなく敬遠していたことは
不潔感、軽蔑感としてあらわれていたようです。

さて、私は小学校6年から松本中学に進み、部落の級友達は、土建業でいわゆる部落ボスであった家の息子一人が、
松本市にある工業学校へ進んだだけで、あとはすべて土方、人夫になったため、お互い離れ離れになったまま過ぎました。

ところが、昭和28年頃、ふと風の便り、同級の部落出身者■君が「脊髄カリエス」で小学校卒業の年の秋以来ずっと寝たきりだという
消息を耳にしました。

それは、病名は脊髄カリエスではなく、脊髄炎で7年間寝たきり、発病の左足首は既に白い腐骨が見え、両足の関節は動かず、さらに右足も湾曲してしまい、
身体の各所にただれの跡も見えるところまで進行した一人の重病人でした。

翌年4月、大学に進み、上京する3日前に彼を訪ねた時の、彼の言葉
「医者にかかりたい、手術台でお前は助からん、帰れといわれても、また手術台で万一死んでも良い。医者にかかりたい。」



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