07/09/05 12:39:07 A2vgvOrd0
>>817の続き
江戸時代から埼玉や群馬の部落と交流があったということで、
明治以降それらの人々も含め、いろいろな人達が集まってきて大きくなっていったのでしょう。
しかし、現在は全くといっていいほど名残はありませんね。部落産業を思わせるものもありません。
古くからの人も少しはいると思いますが、集落という形では存在していないでしょう。
ただ白山神社前の斜向かいにある寺の裏の路地には入っていかなかったので、なにかあるとしたらあそこでしょうか。
あの路地は古いはずですが・・。
年増線あたりは多少貧しい雰囲気が残っていますね。
あとは十一ヶ寺の墓地入り口に家があったのには少し驚きました。
現在人が住んでいるのかどうかわかりませんが、昔は2軒あったようです。
夏の暑い日、白山神社の暖簾を下げているお宅もありました。