07/07/21 12:36:00 zbd3lAF+0
>>440の続き
そして南下しTMOK②へ。ここは江戸時代33間堂という弓術の練習場がありましたが、
明治に入り、火葬が禁止された時期に取り壊して埋葬地になっていますね。
埋葬の場合スペースが必要となってくるため、墓地が足りなくなってきたのでしょう。
そしてまたぐるりと北上して、牙公園の重盛橋付近へ。牙公園のこのあたりはかつて重盛町と呼ばれ、
非人溜みたいなのがあったそうですね。
それ以前はその少し東側にFK川六万坪という場所があって、そこに非人などを閉じ込めておく牢があったそうで、
重盛町のあとはエッ忠島の誰かの屋敷の裏に移動し、明治になってそこが刑場になったとか。
現在のK東区の実爪通りあたりから東側は、陸の部分は少なく、あっても葦だらけの湿地だったり、
江戸時代は「非人の国」とも呼べるおどろおどろしい雰囲気だったのではないかという気がします。