07/07/10 17:33:56 sZnkuVab0
これも太平洋戦争中のことだが、現在のMNT区内の工業高校の校庭に設けられた鉄棒場で、怪我人が絶えない。
そこで学校当局が「観て」もらって、鉄棒の柱の根元を掘ると、約1メートル下から青い石が出てきた。
(中略)
その石の下に澄んだ水をたたえた一抱えほどの瓶が何個もあり、こわごわ開けた中には「おはぐろ」をつけた骸骨が入っていた。
(中略)
・・・・お祓いだか供養をして一件落着。以来怪我人が出なくなったというよりも、誰もその鉄棒のある一隅には近寄らなくなった。
戦後あらためてその場所を古地図で見ると、校舎全体が寺の敷地だった(このほかにも色々と「怪奇」な現象があったのだが省略する)。
この敷地はその後、公務員住宅などに転用されたが、用途としては学校と同様長続きせず、バブル期にも旧東海道に面したその場所だけが歯の抜けたように空いていた。
~ちくま学芸文庫「江戸の町は骨だらけ」~より
工業高校とはTKNW工業のこと?。荷本絵乃気からK坂を下った左側で、現在は公団住宅?
墓守部落だったとの話もある洞村のあたりですか。