07/06/20 14:42:37 M3GLRVUW0
>>195
水路跡(旧玉川上水から導水していた神田川S塚支流)界隈は確かに香ばしいですね。
B=非人部落はH南付近とS塚~Hヶ谷~H町と少数点在で、環七~山手通りの区間全てがB地区ではないですね。
この支流沿いは江戸末期は殆どが田圃ですね。 明治期に入っても住宅はまださほどありませんでした。
やはり震災後の罹災者が無秩序に流入したことが現在の街の様相(下層住民)の根源だと思います。
授産所や隣保館など低所得者救済施設の宝庫です。 区内でも公共施設が異常に多い地域ですね。
>>199
庚申塔の向かって右側手前に馬頭観音はありますよ。
段を登らないと道からは囲いの陰になって見えません。
庚申塔の横には区の説明板があり、馬頭観音は大正11年建立の比較的新しいものです。
江戸期から続く農耕馬の供養信仰(田圃湿地帯でしたので農耕馬はいたでしょう)のためとあります。
しかしここは河川跡でもあるので捨場の可能性もありますね。
「Hヶ谷郷土誌」では庚申塔についての記載はありますが馬頭観音については残念ながら記載がありません。
>>200
都営から一時区営になっていたと思いますが、今は都営住宅ですね。
水道道路沿いの一般都営とは違って公務員向け都営と聞いていましたが、やはり特定現業職という意味なんですね。
都営住宅関連として、KO線のS谷区内唯一の踏切(単線)がある傍に6戸だけの2階建て都営があります。 都の都営住宅一覧に載っていませんが、今も住民はいます。
ここの実態が判らずにいますが、ご存知でしょうか?
URLリンク(www.toshiseibi.metro.tokyo.jp)