07/05/15 13:33:52 hZlECcSY0
>>141 >>143
近世起源説は大半がこの説を採る。すなわち、部落は近世権力(豊臣氏、徳川氏)が身分の流動性が大きく戦乱の
絶えなかった中世を統一した際に、民衆の分裂支配を目的として作ったというものである。
平たく言われるものでは『農民の不満を幕政から逸らすために為政者がスケープゴートとしてこしらえた』
―『上見て暮らすな、下見て暮らせ』というものである。(なお、近世の為政者がこうした旨の触を発した記録はない。)
各県の教育委員会の指導する同和教育においては、1990年代半ばになってようやく、
近世政治起源説が学術的に否定されつつあることが意識され始めたが、当初は教職員の研修などの場において
「歴史学的には近世政治起源説は事実ではないと否定されてきているが、同和教育においては近世政治起源説こそが
正しい認識であるとの立場であるから、これで同和教育を行うように」という指導がまかり通るなどのちぐはぐな対応であった。
この見解は「同和教育」をデマゴギーであると認めた点で、同和問題のみならず公教育一般についての再考すら迫らす
大きな意味を含んでいた。
1990年代末になってようやく近世政治起源説で同和教育を行うことの問題を論じたリーフレットなどが県教育委員会によって
編纂され、県立高校や市町村教育委員会に配布されるに至っている。
この「近世政治起源説」というデマゴギーが生まれた背景には、江戸時代を「暗黒時代」と位置づけることで倒幕(クーデター)の
正当性を担保するという、明治新政府の思惑があったものともいわれる。
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