07/06/05 22:59:31 QUpcBXUZ0
URLリンク(ja.wikipedia.org)
1988年1月から同年4月にかけて、高知市立一ツ橋小学校の周辺の電柱などに
「エタせんこうしね」などという差別落書が発見された。そして同校には、被差別部落出身者を父親に、
高知市教育委員会同和教育課長を夫に持つ女性教諭Oが勤務していた
(ただしO教諭自身は部落出身ではなかった)。これに対して解同高知市協(森田益子議長)は、
高知市教育委員会と共に、この落書に書かれた教師はO教諭であると決めつけ、
"部落民としての誇りを持てば苦しみがなくなる"と同教諭に部落民宣言を強要。
同教諭がこれを拒絶すると、解同側は同教諭のプライバシーに関わるビラをばら撒いた上、
同教諭とその身内を"部落民なのに部落民宣言を拒む差別者である" と『解放新聞』紙上や街宣車で中傷し、
同教諭とその一族の人格権を侵害した。1989年7月18日、同教諭は部落民宣言を強要されたことによる人格権侵害と
プライバシー権侵害ならびに名誉毀損の損害賠償を求め、解同高知市協ならびに森田益子議長を高知地方裁判所に提訴。
一方、解同高知市協らの側でも、同教諭がこの事件を報道機関に報じさせたことは名誉毀損にあたると主張して
反訴をおこなった。