07/01/24 20:15:55 n/OuyLKq0
>>170
あなたの怪しんでる場所がどこだか大体わかるけど、
今回特定したのはそっちの方面ではない。もっと西のほう。
続風土記に"屠児村也"とハッキリ書かれている場所だ。
これは小字を指して書かれたものなのだが、なぜ特定に手間取ったのかというと、
現在におけるその地名の消失、加えて、続風土記のものと明治以降の史料とで
読みは同じなのだが表記(漢字)が異なっているということからだった。
資料庫に埋もれていた文化財目録とのクロス・リーディングでようやく特定に至り、
まさに本日実際に足を運んだのであるが、調べ始めてから今日までの過程で気づいたことがある。
区画整理の変遷を概観してみると、隣接する区画、延いては隣接する自治体の区画に
そこを無理矢理入れ込もうと画策したフシがある。更には、市の主導によるありがちな
美感の欠片もない地名への変更を受け入れつつも、当の住人が元の歴史ある地名(その小字名)を
ささやかながらもなんとか残そうと頑張った形跡がある。
その形跡とは、今回の特定のヒントになったある文化財に残されていたものだ。
その文化財は(おそらくは市により)ありがちな名称に変更されて目録に収められているが、
現物には本来の名称が微かに残されていた。その"本来の名称"にはそこの小字の名前が付いている。
訪れてみてハッとしたのが、いつだったかそのあたりを通り掛かったことがあって、
その時になんか怪しいと感じた一画があったのだが、それがまさしく今回特定した場所と一致してたこと。
小川と車道とに挟まれた場所にあり、その小川の向こう(裏手)にはいわゆる新興住宅地が広がっている。
昨今の春日はもとより全国に沸いている犬の糞みたいな新興住宅地とどこも変わらないありがちなその住宅地を、
その旧穢多村の文化財は今も静かに見下ろしている。