07/01/16 15:05:56 Eefp2L4+0
以下、コピペ
穢多とは、旧体制の警察官。自らは長吏と名乗っておりました。
非人とは、旧体制の刑務官。
これらは、歴史を紐解いてみるとすぐにわかる事です。
新しい明治政府になって、体制から切り捨てられたのです。
特権も剥奪されました。よって貧困に見舞われた人々も少なくは無いのです。
さて、根強く残る差別意識の根底にあるモノはなんなのか?
それを考えてみましょう。
まずは農村から。
基本的に農村に被差別部落が少数点在なのは、長吏(穢多)の配置されていた名残です。今でいう派出所です。
いわゆる番太と呼ばれた人たちの御子孫です。だから各村々には最低一軒はあるのです。
民主主義の今でさえ、警察は理不尽で嫌われまくっているのに、昔ならどうだったでしょうか?
今でさえ、利権との癒着、でっち上げ、誘導尋問でさんざんな取調べをしているのに
封建社会ではどうだったでしょうか?拷問、拷問、拷問!!!!!!違いますか?
無実なのに罪に落とされた者の家族は、長吏(穢多)の人たちをどう思うでしょうか?
家族であればこそ、真実(無実である事)を知っています。
長吏(旧体制の警察)に、はめられた事が身に沁みます。
私ならば、口伝にて、子孫に語り継ぐように致します。
末代まで怨み、恨み、呪い、祟って差し上げる次第でございます。
だからこそ、「あそこのあの家は・・・・・・・。」
というのが、今に根強く残っているのです。
もし世の中が変わり、現在の彼ら(今の警察)が、
持っている警察権力を剥奪されたらどうしますか?
大多数の人間は、これを幸いといじめていじめていじめまくりますよ。
善良な人であっても、警察に非道いまねをされたら怨みますよ。
当然です。それが人間というものです。機械じゃありませんので。
あなたはそれでも人間の感情を否定しますか?
※現在の警察より、あらぬ嫌疑をかけられ、散々な取調べを受け、
あやうくはめられて罪に落とされそうになった者の家族の投稿です。