07/07/18 04:07:44 yOYmIGlZ
30新着 :エリート街道さん :2007/07/18(水) 00:59:42 ID:qFm8d3Si
こんにちは。
私は,法律学科の方ですが,1976年に入学し,1980年に卒業したものですから,ちょうどご質問者様の対象の時代ですね。
確かに,当時の慶應の法学部は早稲田の法学部に比べ,偏差値的には若干の差があり,また,司法試験合格者の数も,倍以上の違いがありました。
ただ前者については,前の方々もご指摘のように,「数学」があり,それが受験者に敬遠される要因であったと思います。
また,後者についても,早稲田や中央に比べ,それほどギリギリ司法試験を目指す学生がいなかったせいでしょう。
私は,都内の私立高校の出身ですが,周囲を見ても,偏差値に差があったにもかかわらず,早稲田慶應の両方を受かれば,慶應のほうに進む人間が多かったような気がします。
また,明治や中央に受かっても,慶應を蹴ってそれらに行く学生はおりませんでした。
やはり,良いにせよ悪いにせよ実社会での「ブランド力」を重視していたようですねえ。当時は。
ただ,法学部内で,政治学科の人間を軽んじる風潮があったのは確かです。
これは,附属高校から法律学科に進む人間には司法試験を目指す「出来のいい」人間が多かったせいかもしれません。
↑おいおい・・・・あなたの主張を私が看過出来るほど、慶応のレベルは高くない。
80年代半ばまでは、司法試験の合格者の大部分は経済学部出身ですよ。
それを知ってのたわごとなの?