07/11/15 01:40:57 2rq5kYpM
>>124
>これは、昔もさることながらインターネット時代においてはさらに大きなアドバンテージなのではないでしょうか。
この部分に関しては、次のような視点もあります。
梅田望夫氏の新刊「ウェブ時代をゆく」でも触れられているのですが、その元となったネット版の文章。
URLリンク(www.shinchosha.co.jp)
最近私が痛切に感ずるのは、特に英語圏のネット空間が「パブリックな意識」にドライブされて進化している
ことである。むろんネット空間は言語圏を問わず玉石混淆の世界なので何から何まですべて良いということは
あり得ない。しかし英語圏では、大学や図書館や博物館や学者コミュニティなど、知の最高峰に位置する人々
や組織が「人類の公共財産たる知を広く誰にも利用可能にすることは善なのだ」という「パブリックな意識」を
色濃く持ち、そこにネットの真の可能性を見出しているように思えるのだ。その感覚が日本語圏のネット空間には薄い。
「人類の過去の叡智」たる図書館の蔵書をスキャナーで読み取って理解し、自動的に索引を生成し検索可能
にする「グーグル・ブックサーチ」プロジェクトに賛同して協力するのは、英語圏の大学図書館がほとんどだ。
将棋の羽生善治三冠が「ネット世界とは学習の高速道路なのだ」というネット観を示したことについては本欄
でも議論してきた。最近の私の深い危惧は、このまま十年が経過すると、ありとあらゆる分野の「学習の高速道路」が
英語圏にのみ敷設され、英語圏に生まれ育つことの優位性が今以上に増幅されてしまうのではないかということだ。
「学習の高速道路」を構築するためのインフラはもうすべて用意されている。あとは日本語圏に生きる私たち一人
ひとりが、日本語圏のネット空間を知的に豊穣なものにしていく決意を持つかどうかにかかっていると思うのである。
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この危機意識は納得できるものだと思うのです。