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1936年、黒人運動の指導者デュボイスは、満洲に1週間、中国に10日間、
日本に2週間滞在して、「ピッツバーグ・クリア」紙に「忘れがたい経験」
と題したコラムを連載した。
デュボイスが東京の帝国ホテルで勘定を払っている時に、「いかにも典型的
なアメリカ白人女性」が、さも当然であるかのように、彼の前に割り込んだ。
ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対応を
続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、
それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。
フロント係の毅然とした態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、
新しい世界の幕開けを予感させた。
「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個人を、日本人は
心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、われわれ1200万人の
アメリカ黒人が「同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命
を背負っている」ことを、心から理解してくれているのだ。