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読売新聞
戦後60年 おんな語り ★2005年 4月 19日更新中 トップ
「サザエ食品」会長 野村 とみさん<8> (2005年4月8日)
「絶対に生きて、日本に帰る」
満州のハルビンで一家の担い手になっていた野村さん(左)
冬になって日本人学校の講堂では寒さに耐えきれず、別の収容所に移ったんですが、突然、八路軍に徴用されることになりました。
特殊看護婦として激戦地に行き、負傷者の手当てをするということで100人ほど集められ、私は家族と水杯を交わして行きました。
徴用は日本人会を通して人数を割り当てられたが、以前からハルビンに在住して蓄財のある女性たちは金で徴用を逃れ、そのしわ寄せが収容所の女性たちに来たのだという。
汽車で行くはずが、荷馬車に揺られての強行軍でした。
ところが八路軍は負けてばかりで、私たちはただ逃げ回っているようなものでした。
荒野をさまよい、途中で数人の傷病兵を看病しただけで、結局、何もしないまま数か月後にハルビンに帰りました。
特殊看護婦がどんな任務だったのか、今でも分かりません。
それから間もなく、その時の責任者が軍票をたくさん持って来て、さる偉い人が私を嫁にほしいと言っているというんです。
どんな人なのかまったく知りません。
金で私を買うつもりだったのだと思います。
何度も来るので私は収容所から逃げ出し、中国人が経営する写真館に住み込みで働きました。
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