04/12/17 14:36:21 Vi/nNqCK
>>237
J・S・ミルのいうように「他人に迷惑をかけない限りあらゆる自由が認められる」とでもいうのだろうか。
自由とは、それほど浅薄なものではない。
単に「他人に迷惑をかけない限り」といっても、きわめてその基準は不明瞭である。
結局は人々の要求のままに新しい権利の主張が行われ、権利と権利の衝突が延々と続くことになる。
自由主義者であったアクトンは、ミルが主張したような「自由」を批判してやまない。
「ミルの自由は必然的に、相互に他人の権利侵害をさせるから、結局は無制限の闘争が生まれる」
至言である。
>>237は「自由主義」を持ち出しているものの、自由主義に対する見方が一面的に過ぎる。
もちろん、慣習や道徳は実定法ではないので、そのままでは権利保障の基盤となりえない。
俺が言っているのは、「実定法は、慣習・道徳に沿うように定められるべき」ということだ。
考えてみれば、日本の法体系は、明治期に西欧から輸入した理論をベースにしている。
そのことが日本の不幸の根本といえるかもしれない。