右翼対左翼at SISOU
右翼対左翼 - 暇つぶし2ch237:右や左の名無し様
04/12/15 22:13:50
>>194
そもそもオーソドックスな人権論=古典的自由主義というのは、
「伝統」「道徳」「慣習」とかいって権力が介入してくるのは邪魔だ、
だから「権力が介入できる範囲」は、人々がそれを必要とする範囲つまり
「人権と人権の衝突を調整する範囲」に止めよう、という考え方。
かかる人権論の王道に従えば、人権が「自由を破壊する凶器」になる、
なんてのは論理矛盾もいいところ。人権が自由(人権の一種)を
破壊しようとすれば、それを調整するために権力が介入してくるのだから。

「人権の内実が定かではない」ことは必ずしも否定しないが、それは人間の
本質は多様であり、その多様性を尊重しようという自由主義とそれに基づく
人権論の当然の帰結。しかし、だからといって、人権が社会秩序や自由を
破壊する、というのは矛盾だということは上に述べたし、
逆に、伝統・道徳といった特定の価値に基づいて権利を定義付けようとする
ほうが「自由を破壊する」危険が大きいといえる。

また「人権の内実が定かではない」ことからそれが直ちに流動的である=
安定的でない、と言い切るのも飛躍。人権は観念的にあればよいというもの
ではなく、結局は権利救済機関である裁判所に認められることではじめて
実体を伴ったものとなる。裁判所に認められる過程というのは利害関係を
有する対立当事者が互いに自己の主張の論理的正当化を尽くす場である。
こうした論理的正当化の過程を経た、高度に純化されたものだけが最終的に
人権としての実体を獲得する。この過程は法廷において公開され、裁判例
として保存されることで世間に周知され、広く批判・検証を許すものとなる。
いつ・どこで・だれが決めるかもはっきりしない伝統・慣習・道徳などより
よほど明確で安定しているといえよう。


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