◎ 白山神社(モンブラン)について ◎  at RIGHTS
◎ 白山神社(モンブラン)について ◎   - 暇つぶし2ch89:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/31 21:02 GFolSmVB
>>88
関東ではタタラや技術者がイコール差別につながることは考えにくい。
白山が結びつくのはやはり近世以降なのでは?

90:百済
04/05/31 22:33 aR20X4Te
>>89
まあ、そうですかねー。天明鋳物もあるし。しかし、栃木の高田は真宗の本山であったし。
関東では真宗=○○宗教ではないでしょうからね。(私は関西の真宗ですが)

15世紀の武蔵国の古地図を見ると、「江戸期の朱引き内」は殆ど湿地で、日比谷が入り江であったえわけで、
そういう意味からいうと、地盤のしっかりしている場所が集落であって、そこが江戸(武蔵)の中世城址
なのであって当然部落になったはず。ま、神田は別として。

むしろ、白山神社=氷川神社のような感じがします。つまり、護岸工事の人柱や犠牲者を祭ったポイント。
当然、そういう葬送の場は集落のある陸地の結界に作られたはずだと思うのですよ。

なんというか、後付けの論理=本田論だと思っていたりします。

91:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/01 21:28 4f79pj5A
弾ちゃんの祖先は鎌倉の長吏、藤原弾左衛門頼兼
さらにさかのぼって秦氏。 江戸最末期には士分です。

92:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/03 19:26 W2oU03yJ
へんなAAがあぼーんされてる

93:百済
04/06/03 19:32 lZeTtkf/
>>91
偽書とされている。

94:夙の谷のウマシカ
04/06/03 23:24 uGpP2fM8
被差別民の白山信仰には弾家ゆかりをはじめ諸説あるようですね。
ところで、被差別民も一般庶民と同じく神仏習合の人たちもいたの
でしょうかね。

日本人の意識としては、神社へ行くのも寺を参るのも、現代の普通
の感覚なら、どちらもそう大差ないというようなものだと思いますが、
時代を遡れば、神社と寺への信仰の明確な分け隔てのようなものは
あったんでしょうかね。

95:御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg
04/06/03 23:37 OzztHHg5
>94 こうゆう意味?明治までは無かったと思うが・・。

はいぶつ-きしゃく【廃仏▼毀釈/排仏棄釈】
〔仏法を廃し、釈迦の教えを棄却する意〕明治初年、祭政一致をスローガンとする政府の
神道国教化政策・神仏分離政策によってひきおこされた仏教排斥運動。各地で仏堂・仏像・
経文などが破棄された。

96:夙の谷のウマシカ
04/06/04 00:17 xiHWIK1C
>>95

御殿山さん、お返事ありがとうございます。
私が疑問に思っていたのは、被差別民のエリアの信仰として
「なぜ神社が選ばれたのか」ということなのです。

白山神社を選んだのは「弾家の身内の…」という話がある
ようですが、結構この話は情緒的というかロマンティック
というのか。

実際に神社を建立するにはそれだけの費用も捻出する必要
もあるので、実は何らかの実利的な機能があったのではない
のかと思っているのですが、どうなのでしょう。

寺ではなく、神社。数ある神社の中から白山を選らんだ。
そのあたりには何か理由があるのかと思ったのです。

私の勝手な妄想でもあるのですが……。白山神社は、今で言う
厚生施設や被差別民の管理施設の役割など果たしていたという
ことは考えられませんか。仏閣が管理支配体制のもとに建立
された時代と同じような、そういう意味合いはなかったのかと。

97:百済
04/06/04 00:22 QXuxDw5h
比叡山焼き討ち。確か源平の時代。白山社の領地を巡って戦っている。
白山社では庶民も蜂起しているが、それが関東のソレとどう関わっているか不明。
源氏の一味が檀家の初代なり、という逸話もある。

郡上一揆という映画では被差別民が白山社の幟を立てて一揆に加担している映像
が見えた。果たして真相は分からないけど、この映画一応人権映画です。

98:百済
04/06/04 00:25 QXuxDw5h
郡上一揆という映画では、一揆首謀者の泊まった旅籠が神田橋本町であった。
この時代、同地域が江戸歴史で言うところの同和地区である、という印象では
描かれていない。

99:夙の谷のウマシカ
04/06/04 00:35 xiHWIK1C
白山神社の役割として、実利的なことを考えるなら、単純に
各地の小頭を監視するため、弾家が出張所を設けたという意味合い
はなかったでしょうかね。

先にも書きましたが、例の「弾家の身内うんぬんから白山建立」という
話はあまりにも奇麗事のように思えてなりません。

遠く離れた支配地域をコントロールするための司令塔的な役割という
面に関しての白山神社についてはどうでしょうか。

100:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/04 01:01 b9foLn77
白山の開山は泰澄と言われているが、奈良時代の修験の僧で十一面観世音を礼拝していた
天平年間、聖武天皇の病気平癒の功験があるが、能登・加賀・越前・若狭で大衆救済の
活動をする。北陸道は宮廷仏教に反対する幻術仏教の徒の根城だったところである。

101:百済
04/06/04 01:07 QXuxDw5h
>>100
そうですね。加賀国は朝廷が圧力を下した国。渤海交易での利益を無視しなかった朝廷は
加賀国という新しい国を作った。

102:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/04 01:31 X+vY3QJt
最後の弾ちゃん写真、海道系のHPでみれるよ。
神戸出身の養子だから風貌的な参考にならんけど。




103:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/04 02:55 mPlbWArn
つーかね。
明治維新まで特に庶民にとっては神社と寺はほとんど一体で区別なかったのだよ。

白山は「差別をしない」神であったこともポイント。
時宗や浄土真宗も白山同様の立場なのは同じく「差別をしない」寺だったから。
差別をしないことが同時に差別される側に立つことになってしまうのが日本的。

104:夙の谷のウマシカ
04/06/04 10:20 xiHWIK1C
>>103 さん、興味深いレスありがとうございます。

今の感覚なら「差別をしない」宗教の存在というのは理解しやすいのです
が、当時では、「差別しない組織や団体=反政府勢力」の一派と見られた
ということはないのでしょうかね。

白山神社を建立させた目的がやはりわからないんですよね。
何度も言うのですが、「弾家の身内が病気になって白山に参ったから
直ったので、各地に白山を建立せよ」という理由だけでは、あまりに
も情緒的で、甘ったる理由にしか思えないんですよ。

白山建立の目的は何か、ということと、
白山神社には弾家にとって、実利的な機能があったのではないかと。
どなたか、その辺りについてはご存知ないですか?

105:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/04 10:25 DqfL3lSP
2ちゃんは只の個人中傷じゃん!!

小学生・中学生・高校生・学生・中途半端な大人だけ!!

106:百済
04/06/04 20:53 TmVZMdxC
隅田川は古来よりいろんな愛称があった。もとは大利根川が上野まで流れ込んでいた。
土砂が堆積し中川、江戸川、洲河(住田、済田などと名称が変遷、隅田川となる)等の川
が形成され、家康入封の際(江戸前島のあった頃)、高地であった真土山(待父山聖天)
と鳥越の大量の土が日比谷界隈に埋め立てられた。

真土山、鳥越ともに高地で集落が形成されており、江戸城下普請と城下整備のために
同地の集落民が移住させられたのであろう。

真土山は弾ちゃんちの近辺ね。
江戸時代の町人にとっては、聖天さま、観音さま(浅草寺)、お大師さま(西新井)が三大
名所として愛された。古い地元の人は上記のように愛称で呼ぶ。

107: ◆IQ23mvywao
04/06/04 21:12 b9foLn77
浅草寺は途中から
弾左衛門の傘の下に入ったじゃなかったっけ?

108:夙の谷のウマシカ
04/06/04 22:16 xiHWIK1C
「弾家と車善七の争い」、「座頭が弾家支配から独立したいと訴える」、
「車善七と乞胸仁太夫による争い」など、支配する側と被支配者との間
でも、いろいろ確執があったようですね。

互いの利権がらみの確執という意味では、時代に関係なく、生臭い話で
興味深いなと感じます。

被差別者間のヒエラルキーを維持するため、被差別者の支配層が被支
配層の反逆、下克上を許さないように、するシステムにはどんなものが
あったのでしょうね。

私は白山神社が何らかの役割があったのではないかと思っているんですが。

白山神社にも寺社奉行は入っていたんでしょうかね。
もし入っていたなら、「奏者番の譜代大名が月番制で当たる」ということで、
スパイするにはもってこいなのでは、とも思うのですが。

地方の小頭に勝手な真似をさせないという意味でも。

109:百済
04/06/05 01:22 VpCa5P7P
>>108
座頭 ― 検校のコースはスパイみたいなものかな。士分だし、検校は。

110:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/05 01:30 PBwzblys
そういや、あの噂、本当かね?
皇族に童話出身者が嫁いだというのは。
関東のT地区で、白山神社があるところだって。
たしかに彼女が嫁ぐ時には、もの凄い反対があったようだけど。
みかけは上流階級だから、そう思う人は少ないけど。
町が童話地区っぽいということと、白山神社があることぐらいしか、
明確な根拠はないんだろ?
白山神社がある地区は全部童話なのか?

111:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/05 01:32 UfQ6u4EL
>>110
美智子妃と館林の関係はこちらに詳しく書いてあります。

皇室の人権
スレリンク(rights板)l50


112:夙の谷のウマシカ
04/06/05 07:57 Ao9ZK+ZW
1667(寛文7)年
 2月28日早朝 《「金剛太夫事件」》 能の金剛太夫(金剛流宗家氏正)が
幕府の許可を得て大規模な勧進能の興業を行ったが、その際弾左衛門に事前
の断りを入れなかった。これを不当として弾左衛門が、手代(家老職)に指
揮させて配下50人を興業の場に乱入させ上演を妨害した。この事件で老中は
弾左衛門側を支持し、金剛太夫側の非が注意された。このことから当時、芸
能興業時に弾左衛門に事前の断りを入れる必要があり、かつその時許可料と
して「櫓銭」(上納金)を支払う慣行があったことが分かる。(『享保世
話』等の記述による)
 閏2月 《「岩船検校事件」》「弾左衛門と座頭たちとの間に争論があり
弾左衛門が由緒書を提出した」との記述が残される(『天享吾妻鑑』、『坂
上池院日記』、『玉露叢』、『三重県部落史料集』所在の『弾左衛門尉頼兼
御朱印手下拝領之事』等の記述による)。※ただしこの事件の発生時期につ
いては複数の異説がある(1689年〈元禄2年〉閏2月条記載を参照、および
1707年〈宝永4年〉9月条を参照)。また塩見鮮一郎さんは、この事件が「勝
扇子事件」(1708年〈宝永5年〉)の勝訴に触発された座頭たち(当道座)
がでっちあげた架空の事件である可能性を指摘している。
 この年 小塚原刑場の刑死者の死体埋葬場所として、回向院の持地が弾
左衛門に与えられる。(後の千住回向院・首切り地蔵の成立)

113:夙の谷のウマシカ
04/06/05 08:01 Ao9ZK+ZW
1692(元禄5)年
 《上州下仁田長吏頭と弾左衛門の係争》 上州下仁田長吏頭馬左
衛門が戦国期武田氏発行の証文を幕府に提出し、「長吏と穢多は別だ。
弾左衛門が支配を任されたのは穢多であって長吏ではない。長吏で
ある自分たちは本来弾左衛門の支配を受ける立場にない」として独
立を訴える。しかし幕府はこれを却下(享保10年『弾左衛門由緒書』
の記述による)。※弾左衛門による被差別民支配はいまだ関東全域に
行き渡っていなかった。また、座頭や歌舞伎の独立が可能であったこ
とから、被差別民支配の仕組み自体も確固としたものになっていなか
ったことが分かる。

114:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/05 13:25 Fg4LQ7oj
渋谷の円山町(高級住宅街に隣接するのに風俗だらけ)に小さな稲荷があるね。
香ばしい地域にお稲荷さんってあるけど、、、。

115:夙の谷のウマシカ
04/06/06 16:09 vM/F/5Zp
>>112 >>113

当時の弾左衛門の支配といっても、現実にはやはり被差別者同士でさえ、
利権を巡って生々しい争いがあったということなのではないでしょうか。

被差別者を束ねる頭として名の知られた弾左衛門も、実は支配向き
には相当苦労があったのではないかと考えられると思います。

>>112 >>113 は、一応年表として史実を掘り返したものだと思われ
ますが、実際のところはどうだったのでしょうね。

たしかに遠く離れた支配地を統括するのは、並大抵ではないと思います。
管理、監視する体制も相当綿密に行われたのではないかと思うのです。
また各地を管理・監視する役目が、地元の頭と癒着しないようにもする
システムも必要だったと思います。

「被差別者=弱者」という観点から少しはずれ、「被差別・有力者
たちの利権争い」という観点で、歴史的な話を観察していくと、
現代にも通じる部分が出てくるのではないかと思うのですが、
いかがでしょう、

116:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/06 18:36 rmGwlpLL


117:夙の谷のウマシカ
04/06/06 23:05 AvU3I/IT
弾左衛門 VS 車善七
弾左衛門 VS 岩船検校
弾左衛門 VS 金剛太夫(金剛流宗家氏正)
弾左衛門 VS 上州下仁田長吏頭馬左衛門
弾左衛門 VS 小田原の長吏太郎左衛門

史実に残っているだけでも、これくらいは簡単に出てくるのです
から、ほかにも弾左衛門支配を快く思っていない被差別者の
中の有力者たち(小頭など)はいたのではないでしょうか。

もし、弾左衛門に対して、素直に従順な態度を取れない地方
の小頭がいたとすれば、彼らは素直に「弾左衛門様が白山神社
はご利益があるといっているからうちにも白山建立すべし」と
従ったのでしょうか。

白山建立は半ば強制的だったのではないでしょうか。
弾左衛門側に何らかの実利的な役目が白山にあったから、
という方が、わかりやすいのですが、いかがでしょうか。

※白山以外にも被差別地区の信仰があるという話もあるよう
ですが、上記は白山建立の話を前提にした場合の話ですが。

118:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/07 12:58 AAFcfslc
遠山の金さんは11代弾左衛門を失脚させたんだってね。

119:摩羅イヒ
04/06/07 13:24 gs82YHsP
>>114
元々は千代田城にあったものを渋谷の…どこだった
かに移動させて、その後現在の場所に移ったものだ
そうですよ(今度逝って見て来ますね)。

幕末の和宮降嫁の際に霊験があったという言い伝え
がある由緒正しいお宮さんです。
脇にもう一つ小さなお社がありますが、たぶんそっち
の方が元からあったお稲荷さんなのかと思います。


120:114
04/06/07 20:56 yvZaAdGB
>>119

121:114
04/06/07 20:58 yvZaAdGB
途中で押しちゃった・・・。
レスありがとうございます。
それにしてもどう見ても立地的に強引な落差のある一角に、稲荷があるのですよね。
意固地に拒絶したような場所に。動物霊は低級だからか?などと勘ぐったりします。

122:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/08 00:25 YZdh99Em
いやキツネはお使いなだけで・・・
動物霊って・・・

123:摩羅イヒ
04/06/08 03:24 PLInkdeh
>>121
いや、ほんとに122さんのおっさるように「稲荷神社」は
動物霊を奉ったものじゃないですよ。キツネは狛犬と
同じ役割です。

江戸では「お稲荷さん=キツネ憑き=動物霊」という
感覚があまりに浸透&普及していたために、京都の
伏見稲荷本社がその誤った認識をただそうと建立した
のが、西武線にある「東伏見稲荷」なんだそうです。

私は京都の本社と両方逝きましたが、確かになるほど
と思うくらいちゃんと模して造られているように思います。

もともと江戸で有名なお稲荷さんといえば、赤坂の
「豊川稲荷」の方ですね。ここは神仏習合スタイルで、
本社は愛知の豊川です。この流れからきているもの
だから、ちょっとずつ稲荷社特有の「おどろおどとしさ」
みたいなのが加わっているような気もします。

ちなみに赤坂の豊川稲荷は大岡越前が大いに帰依
したのでも有名だそうです。


124:摩羅イヒ
04/06/08 03:50 PLInkdeh
さんこう
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)

URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
京都の伏見稲荷を模してる造りだな、という部分。
本殿+裏の小さいお社 っていう雰囲気ていうの?

ただ、確かに京都の方には「雅さ」があって、東京
の方は「こざっぱり」してる気はする。意識してそう
いう部分は排除したのかなとは思いますた。


125:摩羅イヒ
04/06/08 03:56 PLInkdeh
さらに余談。

東伏見駅降りて、神社へ向かう道への入り口に
鳥居が建っているのですが、確か「鳩山一郎」と
いう記名があったように思います。

あと、神社正面入り口のところに、中島飛行機?
のなんか記念碑が建ってました。近くに工場が
あったとかだったかな。これでつ。↓
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)


126:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/08 07:56 ZhycbMBC
日本にもインドの暗黒神みたいな「裏」の世界の神様みたいなのがいて、
そういう神は利益も強烈で、庶民や宿筋にも広く信仰されていた。
七福神や稲荷もこの系統で、室町以降に商売の神様になるのが特徴。

が、白山神社の関東に限った見事な分布は不自然。
やっぱり白山は江戸以降の政治起源なんじゃないの?

127:百済
04/06/08 08:45 C08HQQ2A
白山」は、日本を代表する名山であり、また修験道の盛んな信仰の山、
焼畑農耕文化を残す山としても知られています。

焼畑農耕文化ねえ。。。

128:摩羅イヒ
04/06/08 09:35 vz6x5a55
山岳信仰は立山とか日光男体山とかあるけど
「白山」はなんか特別な趣きがありますね。

あとオフィシャルサイトで興味深かったところ。↓

Q.
山陰地方の温泉地では「白山のおかげで湯が湧いている」と言われていますが、
本当ですか?
A.
本当です。これは白山火山系によるもので、山陰付近での温泉地では実際にこの
話が信じられていますが、石川県の人々には余り知られていません。西日本では
白山がもっとも高い山であり、いかに有名であるかを物語っています。


129:御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg
04/06/08 12:05 R1RnS0Lk
赤坂の「豊川稲荷」は元邸内社
明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に奉還、愛知県豊川閣の直轄の別院となる。
豊川稲荷は俗称で曹洞宗 豊川閣 妙厳寺で本尊は千手観世音菩薩
稲荷神は咤枳尼天(だきにてん)もしくは咤枳尼真天(だきにしんてん)と呼び
真言はオンシラ バッタ ニリウンソワカ
通称・平八郎稲荷と言い開創を手伝った平八郎が釜ひとつで何百人の食事を賄った
開山と共に姿を消し釜だけ残され今も内陣に祀られている。

伏見稲荷の祭神は宇迦之御魂大神

130:摩羅イヒ
04/06/08 12:35 vz6x5a55
御殿山さんて神社仏閣板にもいましたよね。

宇佐八幡だかのスレで本格的に書いてるのを
見たことがある。


131:御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg
04/06/08 14:37 R1RnS0Lk
神社仏閣板では暴れ過ぎたので御殿山のHNは使えなくなりました
別ハンにて1スレだけ常駐してまつ。

ちなみに豊川稲荷は東海不動霊場の札所になってます。

132:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/08 14:43 rBPuTt0/
>>131
白山比咩神社に行かれましたか?


133:御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg
04/06/08 15:10 R1RnS0Lk
>白山比咩神社

本宮?は逝ったことないけどB地区に有るのは見た事ある
NやSSえのは写真見たけど結構立派やね。

丹生都姫伝承のほうに興味が沸く
URLリンク(www.kamnavi.net)

134:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/14 22:33 T4/OwNMQ
香取って百済の当て字って聞いたことがあるけど本当?

135:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/17 00:57 c7+9W/Ww
秦氏と白山神社は関係あるみたいだね。白鳥、八幡もね。

136:摩羅イヒ
04/06/17 03:46 OYlGkv2o
とりあえず秦氏といえば、伏見稲荷でしょ。
スレ違いだけど、ちょと前に触れたので一応。


URLリンク(kyoto.jr-central.co.jp)
>創建は古く、和銅4年(711)で、渡来人の秦氏が農耕神として
>祀ったのが最初という。

URLリンク(www.kyoto-web.com)
>ここ深草の里は秦氏とは極めた深いかかわりをもちます。
>そして当社の御鎮座は和銅4年(711)2月初午の日とされています。
>しかし、信仰の起源は、これよりも更に古くさかのぼります。


137:摩羅イヒ
04/06/17 03:50 OYlGkv2o
ところでこの秦氏というの…
ここ↓では完全に「新羅系」と断定されてますが。
URLリンク(www.kansai.gr.jp)

先ほど別スレで話題になったあたりでは中国?の
「ホータンあたりから家臣や下々を従え、途中
新羅の妨害に遭いながらも日本の助けを得て日本
に来た」となってますた。

【太田】◎ 江    戸 ◎【道潅】
スレリンク(rights板:226番)
(興味のある方はこのログから上に辿ってみて下さい)

なお「公称」?はマイルドというかあたり障り
ないというかこういう表現になってますね。
URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)


それでも一応、広隆寺の弥勒菩薩に関しては
新羅から秦氏(~聖徳太子)に贈られたという
のはガチ...でいいのかな。



138:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/17 04:15 z5AiUeKy
関東は新羅系の地名は見かけるが、関西は百済系しかないみたいだ。
白山は新羅と関係あるのではないか。秦氏は始皇帝の子孫と自称しているね。

139:摩羅イヒ
04/06/17 04:41 OYlGkv2o
「泰澄 新羅」でぐぐって引っかかったページ。

URLリンク(homepage3.nifty.com)

秦氏の神々
秦氏の出自は、秦の始皇帝の末裔という。始皇帝と本当に血がつながって
いたかどうかは疑問視されているが、少なくとも、秦氏の首長の家系は
朝鮮半島中部に設置されていた中国王権の出先機関である帯方郡、楽浪郡の
漢人集団だったことは推定される。在韓中国人で自らを始皇帝の末裔と
称する人々が秦氏集団の中心にいた可能性はある。


9.加賀国(石川県)白山神社

越前の修験行者、泰澄が白山を開山。白山神と観世音菩薩を習合させた。
泰澄は秦氏。白山神の源流は韓国神。「白山」 は、昔は「しらやま」
あるいは「しろやま」 と呼ばれていた。「新羅人(しらぎひと) の山」
あるいは 「斯盧人(しろひと) の山」 という意味もあったようである。
白山比咩(しらやまひめ)神社の主神は菊理媛(くくりひめ)命である。


参考文献
大和岩雄 1993 「秦氏の研究」大和書房


140:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/17 04:58 NFFHet3P
>>139
秦氏と関係の深い秦野には3ヶ所の白山神社がある。部落も多い。

高麗若光が関東に上陸した地は神奈川県大磯町でここから高句麗人を秦野
に入植させたという伝説も残っている。大磯の高来神社の祭神
は高麗若光で高麗という集落にある。ちなみに大磯町は部落が多い。

この2つは何か関係があるのかな。

141:摩羅イヒ
04/06/17 18:09 zb4iUTcw
>>140
大磯は逝ったことないんですが、埼玉の高麗神社
には何度か足を運んだことがあります。

あの当時は、「部落」という視点でものを見てなかった
のだけど、普通に「開墾地」というような雰囲気で
いたって平和な農村風景という印象を持ったけど…

秦氏と高(句)麗の関係まではよく分からないけど。
あと、入植した年代・時代もわりとポイントになると
思いますが。
(例えば、古墳時代、半島の三国時代、統一前後…
といったような)

142:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/17 22:37 nSeFDrnx
>>137
トンデモぽいけど面白い説だね。
司馬遼太郎の「兜率天の巡礼」を彷彿とさせるなあ。
あれは迫害されたネストリウス派をモデルにしてるけど。

143:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/24 19:42 CcjDcKk2
保守

144:名無しさん@お腹いっぱい。
04/07/01 20:40 XtwK2dyc
保守

145:百済
04/07/01 22:58 4fGnDM2n
熊野古道が世界遺産に。

江戸吉原の遊女が、色に「熊野のお札を持ってきておくれよ」
と言ったのは、苦界に身を棄てた下層民の願いだった。

民俗学の原点が世界遺産に。
近隣各国はなんと言うのだろうか?
まさか、福家がモノ申すのか?
それとも・・・


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