◎ 白山神社(モンブラン)について ◎  at RIGHTS
◎ 白山神社(モンブラン)について ◎   - 暇つぶし2ch2:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 09:49 Bi6jdtOB
おお、すぐに立ったな。

3:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 09:54 Bi6jdtOB
関連スレ

庚申塔と被差別部落の関連 (民俗・神話学板)
スレリンク(min板)l50

■■■■いったい白山神社とは?■■■■ (神社・仏閣板)
スレリンク(kyoto板)l50


4:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 10:00 W31GfdAD
やっぱり清瀬処理場前の神社もヤバイの?

5:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 10:35 +skikbra
ウチの近所にもあるよ、でもB地区じゃないです。

6:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 10:37 Bi6jdtOB
●白山神社についての考察



由来・・・・長吏頭・弾左衛門の子息が病気になり、加賀白山に祈願し平癒した。
      その記念して配下の部落に白山神社を祀るように指令した⇒東日本の部落には多い。
      指令は明和六年(1769)に下された。

現状・・・・愛知県以東の東日本の部落⇒ 白山神社と密接に結びついている。一部を除いて必ず白山神社が祀られている

      岐阜県⇒ 部落と白山神社の関係を見出せない。わずかに木地師の信仰していた白山神社がみとめられる。

      北陸三県(福井、石川、富山⇒ 加賀白山の登山道があり白山神社が多いが、一般白山信仰。

      東海地方⇒ 寺院は日蓮宗で神社は白山神社。(徳川家が日蓮宗)

詳細・・・・東京都の三多摩地方、埼玉県比企、入間郡下では寺院は時宗で神社は白山神社。
      千葉県下の部落のいくつかは香取神社を祀っている。
      確証は無いが非人系部落は白山神社を祀らなかったのではないか。
      福島県は白山神社があるが、稲荷神社の関わりの方が強い。
      山形県の米沢市には白山神社があり、他の市では稲荷神社が多く、熊野神社もある。
      秋田、青森、岩手の部落には白山神社はみられない。
      部落と白山神社の北限は太平洋側は仙台、日本海側は米沢、東北は稲荷神社。

(参考『白山神社と被差別部落』本田豊著 明石書店)


7:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 10:38 Bi6jdtOB
6 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/05/16 08:11 ID:cl6v4WRy
新潟市内にはズバリ「モンブラン」駅があるね。


7 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/05/16 21:39 ID:wxi+f5Wh
>>6
中越・下越のモンブランは部落とは無関係。上越地区はビンゴ。


8:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 10:43 Bi6jdtOB
詳しいデータはここ
URLリンク(amezo.nych.info)

9:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 11:01 tQPwVESG
愛知と岐阜の境に住んでるけど(境は木曽川だな・・・。)
愛知と岐阜とで違うね。
一般的な物は関ヶ原で東西をわけるが,
これに関しては木曽川を渡る渡らないで変わる。


10:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 12:08 39lBv2rd
>>6
徳川家は浄土宗(増上寺)と天台宗(寛永寺)なはずだが。祖先は時宗の流れ坊主らしいし。
東海地方の被差別部落に日蓮宗が多いとすれば、一向一揆関係で非人に落とされた人達の
監視の意味があったのかも知れない。江戸時代の日蓮宗は原則的には「エタ・非人お断り」
のはずだけどね。

11:あぼーん
あぼーん
あぼーん

12:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 15:53 r/RLDRBA
横浜に白山神社あるよ。
メルヘ~ンなところだけど。
モンブラン高校もあるし。

13:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/22 19:04 Bi6jdtOB
モンブランを検索するには図書館の郷土資料コーナーで地元の神社の前歴を洗う
ことです。合祀されて消えたモンブランはかなりある筈。祭神が白山比売・菊理媛
の神社もモンブランが合祀されていると見て間違いありません。

14:摩羅イヒ
04/05/22 20:54 vjounS5/
別スレで書いたのご参考までにコピペしときます。
私はただの神社に興味があるというレベルです。
部落ヲタではありません。

-----------

私が「白山」と聞いて思い付くのはやぱり文京区の
白山ですね。総連関連の機関?が集まってますよね。
私は一度も逝ったことないんだけど、うちの母親は
あそこらへんよく通ったと言ってますた。

「白山神社」と名のつく神社にはまだ一度も逝った
ことはないです。日吉大社の本社に逝った時に、色々
合祀してある中にあったのを記憶してるくらい。

「白山比咩神」とか「菊理媛神」という名前や加賀の
方に本社があるというのは、神社関係の本で見ては
いて、一度機会があれば…とは思っていますた。

部落との関係については、横浜オフで白山東光さんと
いう方に教えてもらった&見せてもらった本で知りま
した。まったく予備知識なかったです。


そんな折、図らずも意外なところで「白山」の名前を
見たのは、越前の永平寺に逝った時ですた。



15:摩羅イヒ
04/05/22 20:55 vjounS5/
福井は親戚も住んでたりして、祖父も福井朝銀の初代
理事長をやったとか総連の県本部もあったのかな?
ともかく子供の頃からよく逝く機会ががありますた。
なんだけど、まともな観光地らしいとこにはそれまで
一度も逝ったことがなかったんですよね。

ずっと疎遠だったけど、旦那の実家が越中出身という
のもあって法事でそちらの方に逝く機会ができ、それで
初めて逝きますた。

正直、「白山神社」ってどこにあるのか具体的なイメージ
みたいなのがなくて、いまぐぐってみて納得しますた。
URLリンク(p2223.nsk.ne.jp)

「明治になってから」というのがなんか印象的ですね。

URLリンク(www.pref.fukui.jp)
それからこういうのを見ると、ああなるほど、という
かんじ?



16:摩羅イヒ
04/05/22 20:55 vjounS5/
URLリンク(www25.big.or.jp)
>なぜ永平寺がその白山天台と交流を持ち、雲水の守護神とまでなったか
>という過程は、現在研究が進められている中途であり定かではないが、
>現在でも永平寺の一番高所にある、道元禅師様の眠る承陽殿の横に「白山水」
>と呼ばれる、わき水が湧いており、霊水として毎朝の護献水に使われている。

私が見たのはこれなんですけどね。

ちなみに永平寺には越前藩主松平家?の墓所もあり
ますた。
あ、あと秋篠宮さまが来た!みたいな写真がいぱい
出てたな。


URLリンク(p2223.nsk.ne.jp)
>白山を開いたとされる泰澄は高句麗から亡命帰化した婦人の子供であるという
>伝承を基にして、菊理媛神の「くくり」は高句麗のことだという話があります。

半島ネタとしてはこのへんかな。
開祖が半島系…というのはまあありがちだけど、
この「菊理媛」っていうのがナゾなのですね。



17:摩羅イヒ
04/05/22 20:56 vjounS5/
まあ神社関係の本で(実は神社板ではさんざん悪評
かつヤヴァヤヴァぽい某宗教の教祖さんの本だけど)
霊能者的主観で書かれていたものも一応参考には
なったかな。まあ、よくわかんない世界だし話だけは
小耳に挟んでおこう、みたいな。

その程度の知識でしたが上記のサイトのがはるかに
詳しく書いてありますね。「黄泉の国」…とかいって
ふと別スレに書いた漫画、「悪魔の花嫁」を思い出し
なんかぞっとしてしまったよ。。藁

URLリンク(rau.milkcafe.to)
ちょと読み直そうかと検討中、、でもこわいんだよねー




18:摩羅イヒ
04/05/22 21:09 vjounS5/

---------------

コピペは以上なんですが、上記サイトにあるように
URLリンク(p2223.nsk.ne.jp)

>菊理媛神は日本書紀にだけ登場します。たった一ヶ所で、
>それも名前が一回出てくるだけ

「黄泉の国の入り口」で出てきたとかいう逸話から、
何となく「こわい」イメージがあるのかな?っていう
気がしました。「死」や「死体」と密接に関わる職業
の人たちが信仰したというのに合点が逝きます。


つい↓こんなものも思い出したのでコピペ。

隠密同心心得の条

我が命我が物と思わず。
武門の議あくまで陰にて。
己の器量を駆使し、ご下命いかにても果たすべし。
尚、死して屍拾うものなし。
死して屍拾うものなし。


ちょっと「日陰者」とか「汚れ仕事」というか。
それでいて「道理」とか事態に対する「理解」というか
飲み込みの早さとかが能力として要求されるとか思う
んですが。ま、、でもあくまでも物好きの邪推。w


19:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 00:52 q4Hv1kKa
モンブランの総本山である石川県鶴来町にある白山比咩(しらやまひめ)神社に
行けば全国モンブランリストが調べられるのかな?

20:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 05:13 9o88vZcY
白山神社が日本全土に広まっているのは、継体朝と関連があるのでは。 
弾左衛門の白山はどの系統だろうか。 八幡とはどういう関係か。

21:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 06:38 D7cIlaOi
初心者なので1さんに感謝。
前出『白山神社と被差別部落』以外にも何か良さげな
参考文献がありましたら教えてください。

22:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 09:41 zs7rMdIh
なぜ、白山=モンブランなんですか?
分かるような、分からないような・・・

23:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 10:24 E6dLOjMq
アルプスのモンブラン山は日本語にすると白い山って意味らしい。

24:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 16:40 fDVWPU6H
北の国から・・・・スレ落ちたみたいだね。
北海道にも白山神社があるのだが、近所の人いないかな。

25:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 17:59 q1hDqax7
漏れの田舎では白山神社は領主所縁の神社だが。被差別民とつながってるのは東日本
だけか?

26:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 18:01 Ld3wqooB
文京区の白山神社は犬公方も参拝してたそうだ。
創建はカナリ古い。

27:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 19:08 vePzT2Jj
>>26
新町の弾の白山とはちがうよ。 そもそも部落=白山と騒いでいるのは近代になってからだ。



28:摩羅イヒ
04/05/23 19:51 vTcoLGLi
>>20
>継体朝と関連があるのでは。

なんとなくありえそうな話ですね。
そもそも福井なんて皇室と縁もゆかりもなさそうな
イメージなのに…と思っていたから。

敦賀の方には「白木(しらき)」というところの遺跡
から須恵器とかが出てきてるそうです。「しらき」は
「しらぎ」に通じるという俗説も言われてます。

余談として、その近くに「常宮神社」という三韓征伐
の神功皇后にゆかりの神社があって、「新羅鐘」という
国宝があります。鐘は秀吉の朝鮮出兵の際戦利品として
持ち帰ったものだそうです。


29:摩羅イヒ
04/05/23 19:57 vTcoLGLi
URLリンク(www.city.bunkyo.tokyo.jp)

文京区の白山神社はこれですね。
将軍家とゆかりがあるのですね。

綱吉&桂昌院母子の名前は、神社仏閣を見て歩いて
いると結構いろんな所で目にします。
相当オカルティーな性向が強かったんだろうと思い
ますが。これによって保護されたものも多かったの
だろうというので無下に否定はできないし。。


30:摩羅イヒ
04/05/23 20:13 vTcoLGLi
あ、国宝の新羅鐘ですが、宇佐八幡にもあるとかいう
話をそこの神主さんがしていたような気がします。
でもぐぐっても出て来ないですね…w

宇佐八幡のご祭神は応仁天皇&神功皇后とかですね。


31:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 20:21 WmfpIQLE
茨木の高速近くに形態天皇陵あったよね

32:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/23 20:30 CmB3jB96
白老のポロトコタンの近くにある八幡神社は笑っちゃうな。 あまりにも自己主張が強くてね。
征服神・武神を強調しすぎだよな。

33:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/24 12:48 VdiB35tY
モンブランって、あややに似た人のことですか?

34:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/24 12:54 cPSDGQ3o
2ちゃんねらーの皆様に質問です。現在2ちゃんに書き込み可能な漫画喫茶
はありますか?昨日渋谷の漫画喫茶からレスをこころみましたが駄目でした。
皆さんはやはり自宅、勤務先からアクセスしてる方が殆どなんでしょうか?

35:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/24 13:02 FohGz/DN
継体朝の話が出ているけど仁徳以前は存在が怪しいと思うのだがなぁ。


36:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/24 13:29 5nV/MPqi
白頭山、略して白山だったりしてね。

37:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/24 15:17 aHGd3eEQ
なんで関東だけつながってるのか謎だな。

山岳信仰にもいろいろあるが、北陸の山の代表が白山。
というより、西日本ではアルプスのような高山は白山くらいかもしれん。

西日本でも元々はつながりがあったが早い段階で消えてしまったとか?

38:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/24 15:24 dh7Jb62o
>>37

>なんで関東だけつながってるのか
弾ちゃんが原因のようだ。
>>6とか読んでみて。

39:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/24 22:55 WFf+nTJ5
>>29
桂昌院は出自がダーティーなんだよ。荻生ソライ(変換できない)が色々理屈を付けているけどね。

40:摩羅イヒ
04/05/24 23:05 lGD1hEHU
>>39
八百屋の娘でしたっけ?
上野の東照宮で五代将軍をめぐる面白いお話を聞きました。
「下馬将軍」と言われた酒井なんじゃら公の収めた石の鳥居
がどうのこうの(かなりテキトー)。

大老酒井家ではなんでも天皇家から将軍を迎えようと画策
していたそうです(雅楽頭なんて役職でお公家とも近かった
んですかね)。

URLリンク(www.ffortune.net)
これですね。老中となってますがたぶん大老が正しいと
思います。


41:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/25 01:05 VH3S9jwm
モンブラン=白山神社というのは分かったが、白山神社=モンブランというのが
わからない・・・・
ヨーロッパアルプスのモンブラン(Mont Branc・白い山)からとったのかな?


42:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/25 01:57 Wi5h6apL
鯖移転だ。

庚申塔と被差別部落の関連
スレリンク(min板)l50

43:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/25 07:18 05CXwu3o
>>41
左様でございます。

44:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/25 16:44 vKZx90JN
>>40
摩羅ちゃん、単なる歴史蘊蓄噺レベルの話題はやめてね。

45:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/25 17:21 s5DsZ9u7
>>44
じゃぁあんたも何か新情報でも書いてよ。

46:百済
04/05/25 19:00 JGry02YM
白山神社との関係は本田豊の本のみなの?
いまだに納得できないし、文献もない。

庚申塚と道祖神は違う。ちょっと自信ないけど↓
石神=道祖神=結界
宿神=ささら、阿弥
賽神=生死の儀式

道端の道祖神は何時ごろできたのか?
室町中期以降なら、世阿弥の研究からしないと分からない。
申楽の変遷とか、秦河勝伝承まで遡ると河内文明の時代まで言及しないとなんない。

47:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/25 19:43 DODAC4UY
かの柳田先生も関係を述べております。

URLリンク(members.at.infoseek.co.jp)


48:阿井上男
04/05/25 19:47 bWE5tHld
本田豊は、けっこう史料無しに推論や思いつきで書いている場合が多いから、
彼の説は半信半疑にしておいて、根拠となるべきものを他で調べた方がいい。

49:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/25 22:09 KtqaXqAh
>>47
このリンク先、なかなか良質の情報が詰まっているから、WMに毒された白山スレよりタメになるものにしましょう。

50:百済
04/05/25 23:44 yCr21qX/
>>49
閼伽出甕は既読ですが、イマイチ白山云々は説得力がない。
なにせ柳田博士は被差別部落論議から逃げた人だから。。。
しかし、随分案内されている文献は参考になります。


51:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/25 23:56 vbjnHrfc
実際に白山に行ってみな。

関東じゃみんな部落だよ。
行かないであれこれ言うんじゃないよ。

52:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/26 00:11 BBxu+ngJ
>45
それ厨レスじゃん?知識が無くてネタは振れないけど、
興味は有って濃い情報が欲しいって立場だって有るだろ。
みんな最初はそうだなんだからさ。

53:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/26 00:15 kXMR4huf
一番近い神社がそうなのですが民家が無いんですよね~。田んぼばっかりで!石柱に寄付?した方の名前は入ってるんですけど?!神社自体が移転とかあるのでしょうか?

54:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/26 00:16 +HWXqnjg
菊地山哉を読め

55:摩羅イヒ
04/05/26 01:58 +RioQk6D
>>44
無駄知識から自分でリンク張ればいいじゃん。
私は部落オタじゃないと断わっているし、白山神社=B 
と思わない感覚だって知ってた方がいいと思うよ。



56:摩羅イヒ
04/05/26 02:00 +RioQk6D
ちなみに例の宗教家の人の本には日本書紀の黄泉の国
云々のくだりは紹介されてなかったと思いますよ。

念のため。


57:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/26 02:05 IKzbrpic
>>51
みんな部落なわけ、ないだろ。 すくなくとも、文京区の白山はちがうよ。

58:摩羅イヒ
04/05/26 03:10 RLMQfMlw
URLリンク(www.shirayama.or.jp)

本社のオフィシャルサイトなのでここに貼るのもちょと気が
引けますが…
このうち「B系列」なのはどのくらいなんでしょうか。
(当然、この数のうちに入らないような小さいところも
あるんだと思うけど)

また地域の人の生活と神社との関係とか民俗学的?な
観点から地元で話を聞いてみたりしても面白いのでは。

オフで聞いた話だと、縁日でなんか変わった物売ってた
とかなんとか…その時はあんまりちゃんと話を聞かなか
ったけど、そんなことも言ってましたよ。


59:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/26 09:34 /lVsPJOb
紋舞らんは?

60:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/26 14:50 ce9CucQO
>>57
でもT庸大学は開放運動活発だよね!
塩爺はかつて学長だったし。
社学の学生はそれっぽい椰子多かった気がする。

61:板違いsage
04/05/27 00:01 jKGh+yp8
>>33,59
もんち喘ぎ声がきつくて、萎える。
あれでますます興奮する奴って性欲異状なんじゃないの。

62:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 00:38 2pKbAmc9
>>60
塩爺は今でも東洋大学の理事長か総長なはずだよ。
東洋大学には磯村英一先生がいたな。
笠智衆とか植木等とかお坊さんの子供が多いよね。

63:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 02:34 ievP7YTO
 >>23 
 九州地方にブラックモンブランという名のアイスが売られているから

64:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 12:42 miKvqt0G
単なる>>6みたいな故事由来的な理由なのか?
それとも何か民俗的意味があるのか?いまいち謎だな。

65:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 13:14 Dovva/Ku
菊地山谷ならここ。

URLリンク(hihyosya.co.jp)

66:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 14:10 bApzM9TE
>>63
黒くて白い山と直訳すると意味不明の日本語になるな。

67:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 14:23 2xI5hEdc
>>URLリンク(www.tcn-catv.ne.jp)

68:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 15:08 bWejh0dO
九州の雄、吹く丘は狂目にも、町名がずばり、モンブランがあるで。
ゴム靴屋(アサヒこーぽ・・・)・893・リンポ・・・・すべての用件
具備してるぞ

69:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 15:33 kiUYiFyY
そこはもと何藩?弾左衛門との関係は?

70:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 17:49 miKvqt0G
まあ白って概念そのものが芸能民や西日本で賤業とされてたものにつながるみたいだね。

71:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 19:01 0u/OYSAs
URLリンク(www.mapion.co.jp)

全国で白山町という自治体が唯一ある。↑
白山 青山 赤目 という地名がある。やっぱり境界という意味みたいだ。ただし、白山信仰における
境界とは黒と対峙するものなので、↑の地域では黒に該当するものが無い。

72:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 19:47 6Gn4ErX+
だから、具体的根拠をしめしなさいって。
差別するにもしないにも、知的武装はしないとね。

73:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 20:02 ievP7YTO
>>66
ブラックモンブラン→ぶらっくモンブラン→部○モンブラン
 って考えるのはこじつけ過ぎかな?

74:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 20:23 4b309DRz
既出だけれども
菊理媛が死と再生の象徴として、番太など、
被差別民に信仰されたというのはまあ納得できるけど、
それがなぜ東日本にほぼ限定されてしまうのだろう。


75:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 20:26 0u/OYSAs
>>74
日蓮宗

76:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 20:54 62boyUVN
嘉吉元年(1441)◎後の新町に白山社建立。
天正18年(1590)◎8月1日。家康、江戸入府。それ以前に、初代浅草弾左
          衛門集房、後の日本橋尼店に居たらしい。○8月13日。
          初代集房、既に鳥越に移っていたらしい。
慶長8年(1603)◎日本橋を掛ける。(二代目集開?)
慶長19年(1614)◎これ以前に弾家菩提寺の真宗大谷派臨川山本龍寺創立。
元和3年(1617)◎7月17日。二代目集開没。
元和6年(1620)◎待乳山を崩し日本堤を造る。
寛永12年(1635)◎この年より江戸城での燈心細工を任されたという。
寛永17年(1640)◎10月3日。三代目集道没。
          ◎寛永年間(1624~1643)。三代目集道、北町奉
          行堀式部少輔直之(寛永8年10月5日~寛永15年正月
          28日在職)より「内記」という内証名を授かる。○芸能・
          職人階級の多くが弾左衛門の支配から離脱し、銭剃り(せ
          んぞり=髪結床)・石切り(石工)・紺屋職・座頭などの
          わずか数座に過ぎぬ状態となった。
正保2年(1645)◎鳥越の刑場、浅草今戸橋の南に移され、「浅草御仕置場」
          と称せられる。◎鳥越から山谷堀北(新町)へ移転。
慶安4年(1651)◎丸橋忠弥の処刑執行。(四代目集連)
明暦3年(1657)◎1月18日。明暦の大火(その後の死体処理;四代目集
          連)。◎6月。新吉原開く。


77:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 20:57 62boyUVN
寛文7年(1667)◎金剛太夫勧進能事件。江戸で金剛太夫の勧進能が催され
          た時、弾左衛門の特権である桟敷・囲いの敷設を金剛太夫
          が無断で行ったという理由で舞台に乱入し能を中止させて
          しまった事件。(四代目集連)
寛文9年(1669)◎4月26日。四代目集連没。
元禄5年(1692)◎この年、下仁田村の馬左衛門と論争。(五代目集誓)
元禄11年(1698)◎集村生れる。(後の六代目)
宝永5年(1708)◎『勝扇子』事件。(五代目集誓)
宝永6年(1709)◎7月14日。五代目集誓没。◎9月。集村(12歳)が
          相続(六代目)。
          ◎宝永年間(1703~1710)。座頭が弾左衛門の支
          配から脱却しようとして町奉行に訴え、岩松検校が申し立
          てのため奉行所に出坐。
享保4年(1719)◎『弾左衛門由緒書』を幕府に提出。(六代目集村)
亨保7年(1722)◎この年、浅草非人頭車善七と争う。(六代目集村)
享保7年(1722)◎集囿、生れる。(後の七代目)
享保10年(1725)◎『弾左衛門由緒書』を幕府に提出。(六代目集村)
延享3年(1746)◎12月18日。集囿(25歳)が御目見。
延享5年(1748)◎6月27日。集囿が相続(七代目)。六代目集村隠居。
宝暦8年(1758)◎正月。六代目集村没(享年61歳)。
明和7年(1770)◎4月。七代目集囿、中風をわずらう。
安永4年(1775)◎7月27日。集益が御目見。◎閏12月8日。集益が相
          続(八代目)。七代目集囿隠居。
安永8年(1779)◎集林生れる。(後の九代目)
天明7年(1787)◎松平定信が老中主座となり、いわゆる寛政の改革を行っ
          たとき、銭剃・石工・紺屋職も弾左衛門の支配から離脱し、
          ついに弾左衛門は穢多頭として穢多・非人および猿飼を支
          配するにすぎなくなった。◎八代目集益、先祖を合祀した
          墓を建立。


78:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/27 21:01 62boyUVN
明治22年(1889)◎7月9日。十三代目弾直樹没(享年67歳)。
明治29年(1896)◎3月。養育院、大塚へ移転(前年より東京市営となる)。
明治33年(1900)◎3月2日。十三代目弾直樹、生前の功を賞して賞状及び
          銀盃下賜。
明治42年(1909)◎弾直樹の長男謙之助、屋敷地を小学校建設地として明け
          渡し、東京市中へ移る。
大正12年(1923)◎9月。養育院、現板橋区内へ移転。
昭和7年(1932)◎旧新町の白山社、今戸八幡と合祀される。


79:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/28 12:05 jLJhazfa
西日本では山間部の生活とか、山岳信仰とかどういう位置付けなんだろう。

少なくとも東北や関東信越では山で暮らすことが差別の理由になることはまずないし
諏訪や日光や月山や東日本の山岳系神社は普通にとけこんでる。

だからこそ関東ではなじみの薄い白山なんだろうが、
西日本では吉野とか大峰山とか熊野とか山間部の扱いはどうなんだ?


80:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/29 00:43 /Vm99Oou
西日本でも、普通に受け入れられていると思います。

81:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/29 01:42 IQKPcwdD
>>51
日本史板よりレベル低いのは仕方ないが、
相変わらず近世史の常識が欠落してるこの手の厨房多いな。
小石川の白山神社はのちの将軍綱吉邸にあったものだぞ。


82:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/29 22:13 nucvh6AZ
76~79のコペピで抜けていて興味深い部分。

慶応3年(1867)◎2月。十三代目集保、「賎称廃止の嘆願」を幕府へ提出。
慶応4年(1868)◎正月13日。十三代目集保、身分平民に引上げとなる。
          ○正月15日。新町の手代65人の身分引上を願う(2月
          上旬に許される)。○正月27日。十三代目集保、弾内記
          と改名。◎2月晦日。十二代目集司、押込を解かれる。
          同日、弾譲と改名し、甲陽鎮撫隊に参加。◎3月14日。
          十三代目集保、板橋宿の官軍(薩摩)へ手代を送り、奉仕
          を願い出る。◎5月15日。官軍、上野の彰義隊を討つ
          (双方の死体処理)。◎11月4日、東京市民に賜酒(弾
          左衛門配下へは12月8日)。◎この年の記録によると、
          新町うちに家417軒。江戸市中の非人の数は以下の通り。
          浅草車善七の手下363軒(うち小屋頭111軒)、品川
          松右衛門の手下143軒(うち小屋頭42軒)、深川佐助
          と木下川文次郎の手下67軒(うち小屋頭22軒)、代々
          木久兵衛の手下37軒

83:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/29 22:17 nucvh6AZ
コピペだった。 マズイな。

84:65
04/05/30 06:01 Q7o/Xe8n
菊地山哉=きくちさんさいか。 恥かいたな。


85:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/30 17:37 0f8/ElyN
モンブランの写真
URLリンク(www.domo2.net)


86:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/31 15:59 GFolSmVB
調べてみたが自然発生的というよりどうも歴史的に人為的なものっぽいな。
関東では宿神も一般村落で神様としてある程度の扱いをうけている。

>>6あたりが正解ってとこか。いまいち腑におちんが。

87:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/31 20:34 FpJahX0I

薬師如来;

正式名は薬師瑠璃光如来。東方浄瑠璃界の教主。「薬師瑠璃光如来本願功徳経」に
薬師如来が菩薩で修行していたとき、十二の大願を立てられた。
その内容は病気を治し衣食を与えるというような現世利益の強いもの。

薬師如来信仰は飛鳥時代に始まっており、聖徳太子が用明天皇の病気平癒のため薬
師如来像造立、奈良時代には天武天皇が皇后の病気平癒のため薬師寺建立を発願さ
れるなど病を治す仏として広まった。
平安時代になって天台密教、真言密教が盛んになると比叡山延暦寺、高野山金剛峯
寺の本尊も薬師如来が祀られる。しかし、その後時代は浄土信仰の時代になった。


88:百済
04/05/31 20:36 FpJahX0I
>>76
> 嘉吉元年(1441)◎後の新町に白山社建立。

嘉吉の乱(応仁の乱) 足利京都公方が殺される。その3年後、鎌倉公方も亡くな
る。一揆と騒乱と飢餓。この時代については要注意(以前から提起してきたが)
白山社を奉る一族が逃れて着たとも思われる。
多田鉱山のモノか? 円覚寺支配の同地で利権をもったのであろう。

鉱山のモノであればタタラであるが、
URLリンク(boat.zero.ad.jp)
山岳修験といえば…古代の産鉄技術者は白山信仰と共に薬師如来も信仰していた。



89:名無しさん@お腹いっぱい。
04/05/31 21:02 GFolSmVB
>>88
関東ではタタラや技術者がイコール差別につながることは考えにくい。
白山が結びつくのはやはり近世以降なのでは?

90:百済
04/05/31 22:33 aR20X4Te
>>89
まあ、そうですかねー。天明鋳物もあるし。しかし、栃木の高田は真宗の本山であったし。
関東では真宗=○○宗教ではないでしょうからね。(私は関西の真宗ですが)

15世紀の武蔵国の古地図を見ると、「江戸期の朱引き内」は殆ど湿地で、日比谷が入り江であったえわけで、
そういう意味からいうと、地盤のしっかりしている場所が集落であって、そこが江戸(武蔵)の中世城址
なのであって当然部落になったはず。ま、神田は別として。

むしろ、白山神社=氷川神社のような感じがします。つまり、護岸工事の人柱や犠牲者を祭ったポイント。
当然、そういう葬送の場は集落のある陸地の結界に作られたはずだと思うのですよ。

なんというか、後付けの論理=本田論だと思っていたりします。

91:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/01 21:28 4f79pj5A
弾ちゃんの祖先は鎌倉の長吏、藤原弾左衛門頼兼
さらにさかのぼって秦氏。 江戸最末期には士分です。

92:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/03 19:26 W2oU03yJ
へんなAAがあぼーんされてる

93:百済
04/06/03 19:32 lZeTtkf/
>>91
偽書とされている。

94:夙の谷のウマシカ
04/06/03 23:24 uGpP2fM8
被差別民の白山信仰には弾家ゆかりをはじめ諸説あるようですね。
ところで、被差別民も一般庶民と同じく神仏習合の人たちもいたの
でしょうかね。

日本人の意識としては、神社へ行くのも寺を参るのも、現代の普通
の感覚なら、どちらもそう大差ないというようなものだと思いますが、
時代を遡れば、神社と寺への信仰の明確な分け隔てのようなものは
あったんでしょうかね。

95:御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg
04/06/03 23:37 OzztHHg5
>94 こうゆう意味?明治までは無かったと思うが・・。

はいぶつ-きしゃく【廃仏▼毀釈/排仏棄釈】
〔仏法を廃し、釈迦の教えを棄却する意〕明治初年、祭政一致をスローガンとする政府の
神道国教化政策・神仏分離政策によってひきおこされた仏教排斥運動。各地で仏堂・仏像・
経文などが破棄された。

96:夙の谷のウマシカ
04/06/04 00:17 xiHWIK1C
>>95

御殿山さん、お返事ありがとうございます。
私が疑問に思っていたのは、被差別民のエリアの信仰として
「なぜ神社が選ばれたのか」ということなのです。

白山神社を選んだのは「弾家の身内の…」という話がある
ようですが、結構この話は情緒的というかロマンティック
というのか。

実際に神社を建立するにはそれだけの費用も捻出する必要
もあるので、実は何らかの実利的な機能があったのではない
のかと思っているのですが、どうなのでしょう。

寺ではなく、神社。数ある神社の中から白山を選らんだ。
そのあたりには何か理由があるのかと思ったのです。

私の勝手な妄想でもあるのですが……。白山神社は、今で言う
厚生施設や被差別民の管理施設の役割など果たしていたという
ことは考えられませんか。仏閣が管理支配体制のもとに建立
された時代と同じような、そういう意味合いはなかったのかと。

97:百済
04/06/04 00:22 QXuxDw5h
比叡山焼き討ち。確か源平の時代。白山社の領地を巡って戦っている。
白山社では庶民も蜂起しているが、それが関東のソレとどう関わっているか不明。
源氏の一味が檀家の初代なり、という逸話もある。

郡上一揆という映画では被差別民が白山社の幟を立てて一揆に加担している映像
が見えた。果たして真相は分からないけど、この映画一応人権映画です。

98:百済
04/06/04 00:25 QXuxDw5h
郡上一揆という映画では、一揆首謀者の泊まった旅籠が神田橋本町であった。
この時代、同地域が江戸歴史で言うところの同和地区である、という印象では
描かれていない。

99:夙の谷のウマシカ
04/06/04 00:35 xiHWIK1C
白山神社の役割として、実利的なことを考えるなら、単純に
各地の小頭を監視するため、弾家が出張所を設けたという意味合い
はなかったでしょうかね。

先にも書きましたが、例の「弾家の身内うんぬんから白山建立」という
話はあまりにも奇麗事のように思えてなりません。

遠く離れた支配地域をコントロールするための司令塔的な役割という
面に関しての白山神社についてはどうでしょうか。

100:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/04 01:01 b9foLn77
白山の開山は泰澄と言われているが、奈良時代の修験の僧で十一面観世音を礼拝していた
天平年間、聖武天皇の病気平癒の功験があるが、能登・加賀・越前・若狭で大衆救済の
活動をする。北陸道は宮廷仏教に反対する幻術仏教の徒の根城だったところである。

101:百済
04/06/04 01:07 QXuxDw5h
>>100
そうですね。加賀国は朝廷が圧力を下した国。渤海交易での利益を無視しなかった朝廷は
加賀国という新しい国を作った。

102:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/04 01:31 X+vY3QJt
最後の弾ちゃん写真、海道系のHPでみれるよ。
神戸出身の養子だから風貌的な参考にならんけど。




103:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/04 02:55 mPlbWArn
つーかね。
明治維新まで特に庶民にとっては神社と寺はほとんど一体で区別なかったのだよ。

白山は「差別をしない」神であったこともポイント。
時宗や浄土真宗も白山同様の立場なのは同じく「差別をしない」寺だったから。
差別をしないことが同時に差別される側に立つことになってしまうのが日本的。

104:夙の谷のウマシカ
04/06/04 10:20 xiHWIK1C
>>103 さん、興味深いレスありがとうございます。

今の感覚なら「差別をしない」宗教の存在というのは理解しやすいのです
が、当時では、「差別しない組織や団体=反政府勢力」の一派と見られた
ということはないのでしょうかね。

白山神社を建立させた目的がやはりわからないんですよね。
何度も言うのですが、「弾家の身内が病気になって白山に参ったから
直ったので、各地に白山を建立せよ」という理由だけでは、あまりに
も情緒的で、甘ったる理由にしか思えないんですよ。

白山建立の目的は何か、ということと、
白山神社には弾家にとって、実利的な機能があったのではないかと。
どなたか、その辺りについてはご存知ないですか?

105:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/04 10:25 DqfL3lSP
2ちゃんは只の個人中傷じゃん!!

小学生・中学生・高校生・学生・中途半端な大人だけ!!

106:百済
04/06/04 20:53 TmVZMdxC
隅田川は古来よりいろんな愛称があった。もとは大利根川が上野まで流れ込んでいた。
土砂が堆積し中川、江戸川、洲河(住田、済田などと名称が変遷、隅田川となる)等の川
が形成され、家康入封の際(江戸前島のあった頃)、高地であった真土山(待父山聖天)
と鳥越の大量の土が日比谷界隈に埋め立てられた。

真土山、鳥越ともに高地で集落が形成されており、江戸城下普請と城下整備のために
同地の集落民が移住させられたのであろう。

真土山は弾ちゃんちの近辺ね。
江戸時代の町人にとっては、聖天さま、観音さま(浅草寺)、お大師さま(西新井)が三大
名所として愛された。古い地元の人は上記のように愛称で呼ぶ。

107: ◆IQ23mvywao
04/06/04 21:12 b9foLn77
浅草寺は途中から
弾左衛門の傘の下に入ったじゃなかったっけ?

108:夙の谷のウマシカ
04/06/04 22:16 xiHWIK1C
「弾家と車善七の争い」、「座頭が弾家支配から独立したいと訴える」、
「車善七と乞胸仁太夫による争い」など、支配する側と被支配者との間
でも、いろいろ確執があったようですね。

互いの利権がらみの確執という意味では、時代に関係なく、生臭い話で
興味深いなと感じます。

被差別者間のヒエラルキーを維持するため、被差別者の支配層が被支
配層の反逆、下克上を許さないように、するシステムにはどんなものが
あったのでしょうね。

私は白山神社が何らかの役割があったのではないかと思っているんですが。

白山神社にも寺社奉行は入っていたんでしょうかね。
もし入っていたなら、「奏者番の譜代大名が月番制で当たる」ということで、
スパイするにはもってこいなのでは、とも思うのですが。

地方の小頭に勝手な真似をさせないという意味でも。

109:百済
04/06/05 01:22 VpCa5P7P
>>108
座頭 ― 検校のコースはスパイみたいなものかな。士分だし、検校は。

110:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/05 01:30 PBwzblys
そういや、あの噂、本当かね?
皇族に童話出身者が嫁いだというのは。
関東のT地区で、白山神社があるところだって。
たしかに彼女が嫁ぐ時には、もの凄い反対があったようだけど。
みかけは上流階級だから、そう思う人は少ないけど。
町が童話地区っぽいということと、白山神社があることぐらいしか、
明確な根拠はないんだろ?
白山神社がある地区は全部童話なのか?

111:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/05 01:32 UfQ6u4EL
>>110
美智子妃と館林の関係はこちらに詳しく書いてあります。

皇室の人権
スレリンク(rights板)l50


112:夙の谷のウマシカ
04/06/05 07:57 Ao9ZK+ZW
1667(寛文7)年
 2月28日早朝 《「金剛太夫事件」》 能の金剛太夫(金剛流宗家氏正)が
幕府の許可を得て大規模な勧進能の興業を行ったが、その際弾左衛門に事前
の断りを入れなかった。これを不当として弾左衛門が、手代(家老職)に指
揮させて配下50人を興業の場に乱入させ上演を妨害した。この事件で老中は
弾左衛門側を支持し、金剛太夫側の非が注意された。このことから当時、芸
能興業時に弾左衛門に事前の断りを入れる必要があり、かつその時許可料と
して「櫓銭」(上納金)を支払う慣行があったことが分かる。(『享保世
話』等の記述による)
 閏2月 《「岩船検校事件」》「弾左衛門と座頭たちとの間に争論があり
弾左衛門が由緒書を提出した」との記述が残される(『天享吾妻鑑』、『坂
上池院日記』、『玉露叢』、『三重県部落史料集』所在の『弾左衛門尉頼兼
御朱印手下拝領之事』等の記述による)。※ただしこの事件の発生時期につ
いては複数の異説がある(1689年〈元禄2年〉閏2月条記載を参照、および
1707年〈宝永4年〉9月条を参照)。また塩見鮮一郎さんは、この事件が「勝
扇子事件」(1708年〈宝永5年〉)の勝訴に触発された座頭たち(当道座)
がでっちあげた架空の事件である可能性を指摘している。
 この年 小塚原刑場の刑死者の死体埋葬場所として、回向院の持地が弾
左衛門に与えられる。(後の千住回向院・首切り地蔵の成立)

113:夙の谷のウマシカ
04/06/05 08:01 Ao9ZK+ZW
1692(元禄5)年
 《上州下仁田長吏頭と弾左衛門の係争》 上州下仁田長吏頭馬左
衛門が戦国期武田氏発行の証文を幕府に提出し、「長吏と穢多は別だ。
弾左衛門が支配を任されたのは穢多であって長吏ではない。長吏で
ある自分たちは本来弾左衛門の支配を受ける立場にない」として独
立を訴える。しかし幕府はこれを却下(享保10年『弾左衛門由緒書』
の記述による)。※弾左衛門による被差別民支配はいまだ関東全域に
行き渡っていなかった。また、座頭や歌舞伎の独立が可能であったこ
とから、被差別民支配の仕組み自体も確固としたものになっていなか
ったことが分かる。

114:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/05 13:25 Fg4LQ7oj
渋谷の円山町(高級住宅街に隣接するのに風俗だらけ)に小さな稲荷があるね。
香ばしい地域にお稲荷さんってあるけど、、、。

115:夙の谷のウマシカ
04/06/06 16:09 vM/F/5Zp
>>112 >>113

当時の弾左衛門の支配といっても、現実にはやはり被差別者同士でさえ、
利権を巡って生々しい争いがあったということなのではないでしょうか。

被差別者を束ねる頭として名の知られた弾左衛門も、実は支配向き
には相当苦労があったのではないかと考えられると思います。

>>112 >>113 は、一応年表として史実を掘り返したものだと思われ
ますが、実際のところはどうだったのでしょうね。

たしかに遠く離れた支配地を統括するのは、並大抵ではないと思います。
管理、監視する体制も相当綿密に行われたのではないかと思うのです。
また各地を管理・監視する役目が、地元の頭と癒着しないようにもする
システムも必要だったと思います。

「被差別者=弱者」という観点から少しはずれ、「被差別・有力者
たちの利権争い」という観点で、歴史的な話を観察していくと、
現代にも通じる部分が出てくるのではないかと思うのですが、
いかがでしょう、

116:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/06 18:36 rmGwlpLL


117:夙の谷のウマシカ
04/06/06 23:05 AvU3I/IT
弾左衛門 VS 車善七
弾左衛門 VS 岩船検校
弾左衛門 VS 金剛太夫(金剛流宗家氏正)
弾左衛門 VS 上州下仁田長吏頭馬左衛門
弾左衛門 VS 小田原の長吏太郎左衛門

史実に残っているだけでも、これくらいは簡単に出てくるのです
から、ほかにも弾左衛門支配を快く思っていない被差別者の
中の有力者たち(小頭など)はいたのではないでしょうか。

もし、弾左衛門に対して、素直に従順な態度を取れない地方
の小頭がいたとすれば、彼らは素直に「弾左衛門様が白山神社
はご利益があるといっているからうちにも白山建立すべし」と
従ったのでしょうか。

白山建立は半ば強制的だったのではないでしょうか。
弾左衛門側に何らかの実利的な役目が白山にあったから、
という方が、わかりやすいのですが、いかがでしょうか。

※白山以外にも被差別地区の信仰があるという話もあるよう
ですが、上記は白山建立の話を前提にした場合の話ですが。

118:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/07 12:58 AAFcfslc
遠山の金さんは11代弾左衛門を失脚させたんだってね。

119:摩羅イヒ
04/06/07 13:24 gs82YHsP
>>114
元々は千代田城にあったものを渋谷の…どこだった
かに移動させて、その後現在の場所に移ったものだ
そうですよ(今度逝って見て来ますね)。

幕末の和宮降嫁の際に霊験があったという言い伝え
がある由緒正しいお宮さんです。
脇にもう一つ小さなお社がありますが、たぶんそっち
の方が元からあったお稲荷さんなのかと思います。


120:114
04/06/07 20:56 yvZaAdGB
>>119

121:114
04/06/07 20:58 yvZaAdGB
途中で押しちゃった・・・。
レスありがとうございます。
それにしてもどう見ても立地的に強引な落差のある一角に、稲荷があるのですよね。
意固地に拒絶したような場所に。動物霊は低級だからか?などと勘ぐったりします。

122:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/08 00:25 YZdh99Em
いやキツネはお使いなだけで・・・
動物霊って・・・

123:摩羅イヒ
04/06/08 03:24 PLInkdeh
>>121
いや、ほんとに122さんのおっさるように「稲荷神社」は
動物霊を奉ったものじゃないですよ。キツネは狛犬と
同じ役割です。

江戸では「お稲荷さん=キツネ憑き=動物霊」という
感覚があまりに浸透&普及していたために、京都の
伏見稲荷本社がその誤った認識をただそうと建立した
のが、西武線にある「東伏見稲荷」なんだそうです。

私は京都の本社と両方逝きましたが、確かになるほど
と思うくらいちゃんと模して造られているように思います。

もともと江戸で有名なお稲荷さんといえば、赤坂の
「豊川稲荷」の方ですね。ここは神仏習合スタイルで、
本社は愛知の豊川です。この流れからきているもの
だから、ちょっとずつ稲荷社特有の「おどろおどとしさ」
みたいなのが加わっているような気もします。

ちなみに赤坂の豊川稲荷は大岡越前が大いに帰依
したのでも有名だそうです。


124:摩羅イヒ
04/06/08 03:50 PLInkdeh
さんこう
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)

URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
京都の伏見稲荷を模してる造りだな、という部分。
本殿+裏の小さいお社 っていう雰囲気ていうの?

ただ、確かに京都の方には「雅さ」があって、東京
の方は「こざっぱり」してる気はする。意識してそう
いう部分は排除したのかなとは思いますた。


125:摩羅イヒ
04/06/08 03:56 PLInkdeh
さらに余談。

東伏見駅降りて、神社へ向かう道への入り口に
鳥居が建っているのですが、確か「鳩山一郎」と
いう記名があったように思います。

あと、神社正面入り口のところに、中島飛行機?
のなんか記念碑が建ってました。近くに工場が
あったとかだったかな。これでつ。↓
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)


126:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/08 07:56 ZhycbMBC
日本にもインドの暗黒神みたいな「裏」の世界の神様みたいなのがいて、
そういう神は利益も強烈で、庶民や宿筋にも広く信仰されていた。
七福神や稲荷もこの系統で、室町以降に商売の神様になるのが特徴。

が、白山神社の関東に限った見事な分布は不自然。
やっぱり白山は江戸以降の政治起源なんじゃないの?

127:百済
04/06/08 08:45 C08HQQ2A
白山」は、日本を代表する名山であり、また修験道の盛んな信仰の山、
焼畑農耕文化を残す山としても知られています。

焼畑農耕文化ねえ。。。

128:摩羅イヒ
04/06/08 09:35 vz6x5a55
山岳信仰は立山とか日光男体山とかあるけど
「白山」はなんか特別な趣きがありますね。

あとオフィシャルサイトで興味深かったところ。↓

Q.
山陰地方の温泉地では「白山のおかげで湯が湧いている」と言われていますが、
本当ですか?
A.
本当です。これは白山火山系によるもので、山陰付近での温泉地では実際にこの
話が信じられていますが、石川県の人々には余り知られていません。西日本では
白山がもっとも高い山であり、いかに有名であるかを物語っています。


129:御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg
04/06/08 12:05 R1RnS0Lk
赤坂の「豊川稲荷」は元邸内社
明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に奉還、愛知県豊川閣の直轄の別院となる。
豊川稲荷は俗称で曹洞宗 豊川閣 妙厳寺で本尊は千手観世音菩薩
稲荷神は咤枳尼天(だきにてん)もしくは咤枳尼真天(だきにしんてん)と呼び
真言はオンシラ バッタ ニリウンソワカ
通称・平八郎稲荷と言い開創を手伝った平八郎が釜ひとつで何百人の食事を賄った
開山と共に姿を消し釜だけ残され今も内陣に祀られている。

伏見稲荷の祭神は宇迦之御魂大神

130:摩羅イヒ
04/06/08 12:35 vz6x5a55
御殿山さんて神社仏閣板にもいましたよね。

宇佐八幡だかのスレで本格的に書いてるのを
見たことがある。


131:御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg
04/06/08 14:37 R1RnS0Lk
神社仏閣板では暴れ過ぎたので御殿山のHNは使えなくなりました
別ハンにて1スレだけ常駐してまつ。

ちなみに豊川稲荷は東海不動霊場の札所になってます。

132:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/08 14:43 rBPuTt0/
>>131
白山比咩神社に行かれましたか?


133:御殿山 ◆Pdi7T.x7Zg
04/06/08 15:10 R1RnS0Lk
>白山比咩神社

本宮?は逝ったことないけどB地区に有るのは見た事ある
NやSSえのは写真見たけど結構立派やね。

丹生都姫伝承のほうに興味が沸く
URLリンク(www.kamnavi.net)

134:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/14 22:33 T4/OwNMQ
香取って百済の当て字って聞いたことがあるけど本当?

135:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/17 00:57 c7+9W/Ww
秦氏と白山神社は関係あるみたいだね。白鳥、八幡もね。

136:摩羅イヒ
04/06/17 03:46 OYlGkv2o
とりあえず秦氏といえば、伏見稲荷でしょ。
スレ違いだけど、ちょと前に触れたので一応。


URLリンク(kyoto.jr-central.co.jp)
>創建は古く、和銅4年(711)で、渡来人の秦氏が農耕神として
>祀ったのが最初という。

URLリンク(www.kyoto-web.com)
>ここ深草の里は秦氏とは極めた深いかかわりをもちます。
>そして当社の御鎮座は和銅4年(711)2月初午の日とされています。
>しかし、信仰の起源は、これよりも更に古くさかのぼります。


137:摩羅イヒ
04/06/17 03:50 OYlGkv2o
ところでこの秦氏というの…
ここ↓では完全に「新羅系」と断定されてますが。
URLリンク(www.kansai.gr.jp)

先ほど別スレで話題になったあたりでは中国?の
「ホータンあたりから家臣や下々を従え、途中
新羅の妨害に遭いながらも日本の助けを得て日本
に来た」となってますた。

【太田】◎ 江    戸 ◎【道潅】
スレリンク(rights板:226番)
(興味のある方はこのログから上に辿ってみて下さい)

なお「公称」?はマイルドというかあたり障り
ないというかこういう表現になってますね。
URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)


それでも一応、広隆寺の弥勒菩薩に関しては
新羅から秦氏(~聖徳太子)に贈られたという
のはガチ...でいいのかな。



138:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/17 04:15 z5AiUeKy
関東は新羅系の地名は見かけるが、関西は百済系しかないみたいだ。
白山は新羅と関係あるのではないか。秦氏は始皇帝の子孫と自称しているね。

139:摩羅イヒ
04/06/17 04:41 OYlGkv2o
「泰澄 新羅」でぐぐって引っかかったページ。

URLリンク(homepage3.nifty.com)

秦氏の神々
秦氏の出自は、秦の始皇帝の末裔という。始皇帝と本当に血がつながって
いたかどうかは疑問視されているが、少なくとも、秦氏の首長の家系は
朝鮮半島中部に設置されていた中国王権の出先機関である帯方郡、楽浪郡の
漢人集団だったことは推定される。在韓中国人で自らを始皇帝の末裔と
称する人々が秦氏集団の中心にいた可能性はある。


9.加賀国(石川県)白山神社

越前の修験行者、泰澄が白山を開山。白山神と観世音菩薩を習合させた。
泰澄は秦氏。白山神の源流は韓国神。「白山」 は、昔は「しらやま」
あるいは「しろやま」 と呼ばれていた。「新羅人(しらぎひと) の山」
あるいは 「斯盧人(しろひと) の山」 という意味もあったようである。
白山比咩(しらやまひめ)神社の主神は菊理媛(くくりひめ)命である。


参考文献
大和岩雄 1993 「秦氏の研究」大和書房


140:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/17 04:58 NFFHet3P
>>139
秦氏と関係の深い秦野には3ヶ所の白山神社がある。部落も多い。

高麗若光が関東に上陸した地は神奈川県大磯町でここから高句麗人を秦野
に入植させたという伝説も残っている。大磯の高来神社の祭神
は高麗若光で高麗という集落にある。ちなみに大磯町は部落が多い。

この2つは何か関係があるのかな。

141:摩羅イヒ
04/06/17 18:09 zb4iUTcw
>>140
大磯は逝ったことないんですが、埼玉の高麗神社
には何度か足を運んだことがあります。

あの当時は、「部落」という視点でものを見てなかった
のだけど、普通に「開墾地」というような雰囲気で
いたって平和な農村風景という印象を持ったけど…

秦氏と高(句)麗の関係まではよく分からないけど。
あと、入植した年代・時代もわりとポイントになると
思いますが。
(例えば、古墳時代、半島の三国時代、統一前後…
といったような)

142:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/17 22:37 nSeFDrnx
>>137
トンデモぽいけど面白い説だね。
司馬遼太郎の「兜率天の巡礼」を彷彿とさせるなあ。
あれは迫害されたネストリウス派をモデルにしてるけど。

143:名無しさん@お腹いっぱい。
04/06/24 19:42 CcjDcKk2
保守

144:名無しさん@お腹いっぱい。
04/07/01 20:40 XtwK2dyc
保守

145:百済
04/07/01 22:58 4fGnDM2n
熊野古道が世界遺産に。

江戸吉原の遊女が、色に「熊野のお札を持ってきておくれよ」
と言ったのは、苦界に身を棄てた下層民の願いだった。

民俗学の原点が世界遺産に。
近隣各国はなんと言うのだろうか?
まさか、福家がモノ申すのか?
それとも・・・


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