02/06/22 09:23 3Cn9/+0/
皇紀2600年。
欧米では、広く親しまれていたはずのジャポニスムの火は消えてしまっており、
代わって日本という非欧米・非白人の新興勢力に対する違和感が瀰漫していた。
当時の国際状況は極端に見通しが不透明で、各国民は疑心暗鬼の状態であった。
数年も経たぬうちに世界で何千万という被害者を出すこととなる世界大戦が
始まる。その前夜だ。当然であろう。
とまれ、日本は紀元2600年を打ち上げてしまい祝典を行う必要があった。
意外と当時の日本政府の文化当局者は洒落者で、一大コンサートを企画した。
電子楽器の無い時代の事とて、フル編成のオーケストラが人気を博していた。
そこで、世界の有名作曲家に競作させたのである。
独伊は言うに及ばず、さらには仏・英・ハンガリーの作曲家に依頼したのである。
日本、と祝祭をイメージした曲が集まった。
ドイツのシュトラウスなどはタイトルもずばり
Japanische Festmusik
で、ジャポニスム(ドイツ風ならヤポニスムス、か)
の残滓か、お寺の鐘(のような物)をいくつも使う曲を書いてきた。