孤女と知り合う方法を研究するスレat ALONE孤女と知り合う方法を研究するスレ - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト50:名前は誰も知らない 06/11/04 19:34:04 ErAqzPAH0 何かを成し遂げたいと思っているかぎり、永遠にできないことがある。自分には無理で、あきらめ、絶望した瞬間に向こうからやってくるものがある。 この世の真理、悟りを求めて、家、家族、友人、田畑、仕事を捨てた人がいた。ひたすら悟りを求めて、座禅し、瞑想を繰り返し、マントラを唱えた。しかし何も起こらなかった。 自分が捨てた家族、家、友人……、あれはいったい何だったのだろう。この男は実際には何も捨ててはいなかった。捨てることで得られると思ったもの、 つまり永遠の真理、悟り、そのようなものを望んでいるのは執着以外の何ものでもない。 すべての執着を捨てる。 いや、捨てなければならないと思っているのなら、それは「無」への執着にすぎない。「有」への執着が「無」への渇愛に変わったにすぎない。 この男は自分が捨てた家族、家、友人、仕事の見返りとして、新たな執着を作り出し、以前よりいっそう強欲になっていたにすぎない。 禅寺に通い、何年も修行をしたが何ひとつ変わらなかった。とうとう自分自身に絶望した。 本心から、死ぬしかないと思った。そのとき頭の上でカラスの「カーカー」という鳴き声が聞こえた。この瞬間、この男は悟った。 何の見返りも期待せず、ただひたすら受動的に生きているとき、何かに気づくことがある。 ところがほとんどすべての人の「よい行い」には、何かの見返りを期待する心がついてくる。 どこかでかならず自分自身への見返りを期待している。どこまで行っても、結局すべて、自分のためでしかない。 本当に自分自身を捨てて、山間に咲いている一本の花のように、ひたすら受動的に生きることは私たちにも可能なのだろうか。世間に対して、何のカルマもばらまかずに生きることは可能なのだろうか。 いや、できないことなのだろう。私たちが生きるということは、常に恐ろしいほどの業欲を発散している。 一度徹底的に自分の欲の深さに気づき、絶望してみるところからしかスタートは切れない。 心底絶望すれば、庭先に飛んできた雀の「チュンチュン」という鳴き声でもわかるときはわかる。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch