09/08/02 21:15:04
「アイゴー!」は言うまでもなく朝鮮民族にとっての感嘆詞だ。
「アイゴー(아이고)」という単語自体に意味はないわけだが、状況によってさまざまな表情を
見せる。最近日本でも、韓流ドラマに親しみ、韓国語を学ぶ人々が爆発的に増えたせいか、こ
の感嘆詞が喜怒哀楽ばかりでなく、さまざまな場合に多様なニュアンスで用いられることの理
解が進んだようだ。
けれど少し前まで、日本人はこの「アイゴー」は韓国人がもっぱら嘆き悲しむ慟哭の場面での
み発せられる感嘆詞だと思っていた。たとえば家族の死に瀕したときなどである。朝鮮民族が
はらわたの捩れるような悲しみに打ちひしがれるとき、「アイゴー!アイゴー!」と胸を叩きな
がら身も世もなく嘆く様は、感情を露わにしないことをもって美徳とする日本人にとっては衝
撃的であり、鮮烈な印象であったのだろう。
その上に「アイゴー」は漢字の「哀号」から由来するという誤解もあった。「アイゴーって哀愁
の哀に、号泣に号と書くんですよね?」と尋ねられることも度々で、たいていの人が「アイゴ
ー」は漢字では「哀号」と書くのだと信じていた。確かに「哀号」は日本式に発音すれば「ア
イゴウ」と読む。けれどもしこの漢字をそのまま韓国式に読み下すなら「エホ(애호)」としか
読めない。
ならば「哀号」は「アイゴー」とは何ら関係がないのだろうか?実は感嘆詞としてではなく、
名詞としての「哀号」には次のような意味がある。「もともと中国古代の風習で、泣き人を雇っ
て葬式などで号泣させたもの」だという。つまりは葬式の折りに多くの人達が盛大に泣いてみ
せることで、「弔いがあります」「こんなに沢山の人が悲しみに暮れています」「故人はこんなに
も人望があり、惜しまれた人でありました」ということを周囲に分かりやすく告知する広告塔
のような役割だったのではないだろうか。
この哀号(애호)の風習は中国から朝鮮を経て、日本にも伝わったとされるが何故か日本では
定着しなかったそうだ。広大な大陸にあってこそ広告して周知することが必要だったわけで、
狭い島国の日本には情緒的にそぐわない風習だったのかもしれない。
今日でも韓国では舅の葬式となると、嫁は四六時中泣いていなければならないという話を聞く。
しかしそれなりの采配も振るわねばならないので、大切なお客さまが見えた時などには泣きな
がらも間隙を縫って様々に指示を繰り出すという面白おかしい話しも聞いたことがある。
いずれにしても「哀号」という漢字の咎で、朝鮮民族は「哀愁の民族」などという間違ったイ
メージがかつての日本人には定着していた。だが近年韓流ドラマによって多様な「アイゴー!」
の多様な使い方を学習した日本人は、大きく「アイゴー」!」のイメージを変えていった。
ソース:JPニュース<「アイゴー!」 は「哀号」か?>
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