【竹島問題】実事求是 朴炳渉氏の「下條正男の論説を分析する」を駁す 自ら資料改竄の事実を認める、語るに落ちるとはこのことだ[07/24]at NEWS4PLUS
【竹島問題】実事求是 朴炳渉氏の「下條正男の論説を分析する」を駁す 自ら資料改竄の事実を認める、語るに落ちるとはこのことだ[07/24] - 暇つぶし2ch3:東京ロマンチカφ ★
09/07/25 05:33:59
 すでに歴史研究としての竹島問題は、申景濬の『疆界誌』(1756年)に対する文献批判にまで進み、
申景濬の『疆界誌』には底本が存在した事実も明らかにされている。それが李孟休の『春官志』(1745年序)
である。『疆界誌』の「安龍福伝」と「鬱陵島」条は、『春官志』から「欝陵島争界」を剽窃したもので、その中
で、申景濬が『疆界誌』に按記を書き、私見を加えた箇所が後に『東国文献備考』の分註となるのである。
「下條正男の論説を分析する」とした朴炳渉氏であるが、なぜ朴炳渉氏は李孟休の『春官志』に対する立論を
避けたのであろうか。申景濬が按記を挿入した李孟休の『春官志』(「欝陵島争界」)の当該箇所では、次の
ように于山島を欝陵島としていたからである。

 「蓋しこの島(欝陵島.注下條)、其の竹を産するを以ての故に竹島と謂い。三峯あるが故に三峯島と
謂う。于山、羽陵、蔚陵、武陵、礒竹島に至りては、皆音号転訛して然るなり」

 この記述からも明らかなように、李孟休の『春官志』(「欝陵島争界」)では、于山島を欝陵島としていた。
そこで申景濬は、『疆界誌』を編述する際に、その当該箇所に「愚按、輿地志云、一説于山、欝陵本一島。
而考諸図志二島也。一則倭所謂松島而蓋二島倶是于山国也」(按ずるに、輿地志に云う、一説に
于山、欝陵もと一島。しかるに諸図志を考うるに二島なり。一つはいわゆる倭の松島にして、けだし二島、
ともにこれ于山国なり)」とする按記を挿入し、私見によって「于山島を倭の松島」とする虚偽の事実を捏造
したのである。

 では申景濬はなぜ、于山島を「倭の松島なり」としたのであろうか。それは1696年、日本に密航し、鳥取藩
によって加露灘から追放された安龍福が、帰還後の取調に対して「松島は即ち子山島(于山島)、此れ
亦我国の地」と供述し、みずから鳥取藩の藩主と交渉して「欝陵島と松島が朝鮮領になった」と偽証した
ことによる。韓百謙の『東国地理誌』(1615年)や李孟休の『春官志』(1745年)等で欝陵島とされていた
于山島が、「倭の松島」となる端緒は、安龍福の偽りの供述にあったのである。

 安龍福の供述を無批判に踏襲した申景濬は、『東国文献備考』では結果的に引用文までも改竄して、
事実無根の「于山島=松島」説を蔓延させてしまったのである。同時代の鄭東愈は、申景濬を「独善、
付会の説をなし、往々我より古となす。これ其の短なり」(独善に走って勝手に事実無根の説をつくり、自説
を昔からの正しい根拠とする。これが申景濬の短所である)と酷評するが、『疆界誌』に対する文献批判を
怠った朴炳渉氏には、歴史の事実が見えていないようである。その朴炳渉氏が、「下條正男が宣伝する
ような史書の「捏造」や「改竄」はなかった」とするのは、文献批判を怠り、史書を恣意的に解釈する者の
妄言である。

(注1) 『東国文献備考』の編纂に関連し、『承政院日記』の英祖四十六年閏五月二日条には、「景
濬草創して、啓嬉潤色す」と記されている。景濬は申景濬のこと。啓嬉は洪啓嬉を指す。また洪啓嬉が
『東国文献備考』の編纂に関わっていたことは、安鼎福の『順庵先生文集』巻五、「洪判書に与ふるの書」
でも確認ができる。『春官志』については、拙稿「『竹島紀事』と『春官志』覚書」(「国際開発学研究」
第二巻第四号・勁草書房)参照のこと。

(終)


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