【竹島問題】実事求是 朴炳渉氏の「下條正男の論説を分析する」を駁す 自ら資料改竄の事実を認める、語るに落ちるとはこのことだ[07/24]at NEWS4PLUS
【竹島問題】実事求是 朴炳渉氏の「下條正男の論説を分析する」を駁す 自ら資料改竄の事実を認める、語るに落ちるとはこのことだ[07/24] - 暇つぶし2ch2:東京ロマンチカφ ★
09/07/25 05:33:42
 この時、『東国文献備考』の引用文と、その底本となった申景濬の『疆界誌』に引用されていた柳馨遠の
『東国輿地志』の文言が異なる事実が指摘されている。『東国文献備考』(1770年)には、「輿地志に云う、
欝陵・于山、みな于山国の地。于山は倭の所謂松島(現在の竹島)なり」とあるが、『東国輿地志』(1656年)
には「一説に于山、欝陵本一島」とあったからである。ではどの段階で『東国輿地志』の文言が書き換え
られたのか。それは『東国文献備考』の底本となる申景濬の『疆界誌』(1756年)で、「一則倭所謂松島而、
蓋二島、倶是于山国也」(一つはすなわち倭の所謂松島にして、けだし二島ともにこれ于山国なり)とされ、
于山島が竹島とされてからである。

 もちろん現存する柳馨遠の『東国輿地志』には、于山島を「倭の所謂松島」とする文言はない。それを
『東国文献備考』の分註で、于山島を「倭の所謂松島」としているのは、『東国輿地志』からの引用文が
改竄され、虚偽の事実が捏造された証である。

 それを朴炳渉氏は、「下條正男が宣伝するような史書の「捏造」や「改竄」はなかった」とするが、その根拠
はどこにあるのだろか。朴炳渉氏は、それを次のように説明している。

 「『東国文献備考』の場合は、「欝陵・于山、皆于山国の地」が引用文であり、それ以下の「于山はすな
わち倭がいうところの松島なり」は、申景濬の見解であることが『輿地志』からわかる。もちろん、下條正男が
宣伝するような史書の「捏造」や「改竄」はなかったのである」

 だがこの僅かな文章の中でも、朴炳渉氏は二つの失敗を犯している。「『東国文献備考』の場合は、
「欝陵・于山、皆于山国の地」が引用文であり、それ以下の「于山はすなわち倭がいうところの松島なり」は、
申景濬の見解である」とした部分である。

 朴炳渉氏は『東国文献備考』の分註で「于山島を倭の所謂松島」とあるのは、「申景濬の見解」による
ものと、みずから改竄の事実を認めているからだ。語るに落ちるとは、このことである。かくして朴炳渉氏は、
「下條正男の論説を分析する」を論述する中で、竹島を占拠してきた韓国側の根拠までも潰していたので
ある。

 朴炳渉氏の二つ目の失敗は、「『東国文献備考』の場合は、「欝陵・于山、皆于山国の地」が引用文」
と、したことである。この『東国文献備考』の分註(「欝陵・于山、皆于山国の地」)は、韓国側にとっては
極めて重要な意味を持ち、竹島を欝陵島の属島とする根拠であった。そのため竹島は六世紀から韓国領
であった、と主張してきたのである。

 だがその「欝陵・于山、皆于山国の地」に近い記述は、柳馨遠の『東国輿地志』には存在しない。申景濬
が編述した『疆界誌』の按記に、「蓋し二島倶に是于山国なり」(おそらく二島はともに于山国であろう)と
ある一文が、「欝陵・于山、皆于山国の地」の論拠である。従って『東国文献備考』の分註にある「欝陵・
于山、皆于山国の地」も、柳馨遠の『東国輿地志』とは関係がなく、『東国文献備考』の編纂時に、洪
啓嬉が申景濬の『疆界誌』の按記を潤色、作文(注1)したものである。それを朴炳渉氏は、「下條正男
が宣伝するような史書の「捏造」や「改竄」はなかった」と詭弁を弄しているが、それは根拠のない妄言である。

 歴史問題としての竹島問題は、申景濬の『疆界誌』に対する文献批判から始めねばならないが、朴炳渉
氏の「下條正男の論説を分析する」では、申景濬の『疆界誌』に対する文献批判にまで研究が進んでいない。
それは朴炳渉氏が、「下條は何々である」式のレッテル貼りで反論を試みる限り、論争の域には到達しない
からである。それは朴炳渉氏が「半月城通信」というサイトで「下條正男批判」を行い、2007年度には韓国
の政府機関である韓国海洋水産開発院の研究助成を受け、「安龍福事件に対する日韓間の意見対立
の分析」、「下條正男の主張批判」等を研究課題としたように、その目的が政治的宣伝にあるからである。

>>3-5あたりへ続く)


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