【韓国】 日帝時代の「恨みのこもった」防波堤記念碑、案内板に歴史的意味の記載無く問題に[07/22]at NEWS4PLUS
【韓国】 日帝時代の「恨みのこもった」防波堤記念碑、案内板に歴史的意味の記載無く問題に[07/22] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
09/07/23 21:38:45

URLリンク(img.yonhapnews.co.kr)

(蔚山(ウルサン)=聯合ニュース)イム・キチャン記者=蔚山(ウルサン)のある地方自治体が日帝時代
に作られた防波堤完工記念碑を復元したが、一緒にたてたハングル案内板の内容が不十分だという
論議の対象になっている。

日帝は1923年3月4日から1928年3月23日まで満5年間延べ人数19万5千人を動員して、蔚
山防御陣防波堤を作った。工事後には防波堤付近に横1m、縦2mの大きさの花崗岩記念碑をたてた。
「この港は...天恵の条件を整えたが、日本海遠い海を経た風浪が...(後略)」という日本語文章が含まれ
た石碑だった。

工事の途中の1925年、労役をした朝鮮人労働者48人が台風に巻きこまれたせいで命を失ったので
朝鮮人には「恨みのこもった」防御陣防波堤であり、「恨みのこもった」記念碑であった。

以後、この記念碑はどういうわけか蔚山東区防御陣海岸にころがる境遇に転落した。東区は最近、こ
の記念碑をきれいに磨いた後に東区方魚洞(パンオドン)洗鉱重工業工場駐車場付近にたてた。「造
船所都市」と認識される東区で文化財を見つけるのはなかなか難しいという指摘を受けているところ
に、この地域の歴史が刻まれた遺物に注目したのだ。

区は記念碑のそばにハングル案内板をたてて子孫の理解を助けた。案内板には日本語で書かれた
碑文の韓国語翻訳文と防波堤工事期間、投じた事業費、防波堤規模、動員人員、投入資材などの内
容を入れた。問題はこの案内板の説明だけでは日帝の韓半島収奪と関連した歴史的脈絡さえ把握
するのが難しく、記念碑復元の趣旨がまるで分らないという点だ。

朝鮮人強制動員に関する説明は「この工事中1925年(大正14年)9月6~7日に来襲した台風で工事
人夫(朝鮮人)48人が犠牲(死亡)になった」という一文が入っただけで、韓日関係で最も敏感な単語に
選ばれる碑文上の「日本海」という表現も「東海(日本海)」という単語に変わりはしたが結局含まれた。

記念碑を見る人々は「案内板に強制動員の深刻性が正しく表われていない。こんなことなら、あえて
日帝が朝鮮人を動員して作った防波堤記念碑を引き出して、復元した目的は何か」と批判している。
東区に住むある住民は「案内文だけ読んだだけでは'当時蔚山で日帝がこういう事業を行った'という
事実しか分からない。日帝の強制動員など歴史的脈絡を知らせないならば、何の意味もなく外国人
が見れば誤解するかもしれない」と指摘した。

これに対して東区関係者は「若い世代がこの記念碑を見て、辛い歴史の日帝強制支配期を忘れない
ようにしようという趣旨で記念碑を復元した。歴史的意味を含めて案内文の内容を補完する問題は、
ずっと悩みの種だ」と話した。

ソース:聯合ニュース(韓国語) <日帝時代防御陣港記念碑、案内板不良論議>
URLリンク(www.yonhapnews.co.kr)



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