09/07/23 19:46:56 0xPh0kZN
百済の国名は、馬韓にあった伯済国に由来すると認められています。
読み下すとハクサイですね。
現代朝鮮語では百済をペクチェと読みますが、
「百」「済」を朝鮮読みしただけでは、当時の発音はわかりません。
高句麗の広開土王碑では百残と刻みますから、何か百済に対して含むところが
あったようですが、これはまた当時の発音を残しているとも考えられます。
百済をクダラと読むには諸説ありますが、やはり旧来の地名の一つを採ったものと思われます。
弁辰に kota という地名が存したそうなので、原名はクタ羅だったのでしょう。
要するに、建国以前の古い地名が国名に転化した可能性が高く、
百済においても建国当初から倭国が関わっていた事情が窺えます。
この時代の朝鮮半島南部は、実質的に倭国が経営したようなものですから。