09/07/23 15:38:33 LKJNOY/5
>>596の続き
以上が「下らぬ」「下らない」の意味の時代的変遷についての説明ですが、それ
ではなぜ「下らぬ」が「わけがわからない」という意味に変化したのでしょうか。
「下る」という動詞の本義が、高いところから低いところへと移動することである
ことは言うまでもありませんが、そこからいろいろな意味が派生しております。
たとえば、「都から地方へ行く」という意味は帝のおわす都を心理的に高いもの
と見なしたことから生じたものですし、「降参する」の意は自分を打ち負かした
相手を上位に位置するものと見なしたことから生まれたものです。そういった
二次的な派生によって生じた意味の中に、「詩歌・文章で、ことばが停滞せず、
一貫した筋を通して最後まで続いていく」(三省堂『時代別国語大辞典・室町時代
編』「下る」の項)というものがあります。1418年の世阿弥『風姿花伝』に
殊更、脇の申楽、本説正しくて、開口より、その謂れと、やがて人の知る如く
ならんずる来歴を書くべし。さのみに細かなる風体を尽さずとも、大方の懸り、
直ぐに下りたらんが、指寄(さしより)花々とあるやうに、脇の申楽をば書くべし。
とあり、1448~50年頃成立の正徹の歌論書『正徹物語』に
哥(うた)はうち詠(なが)むるに、何となく詞つづきも哥めき、吟のくだりて理を
つめず幽にもやさしくも有がよき歌也。
として見える「下る」がその意味です。これは川の水が高いところから低いところ
へと途切れることなく流れてゆくように、ことばが続くことをたとえて言ったもの
ですが、文章を読む立場から言えば、当時の文章は原則として縦書きですから、
文章は上から下へと視線を移動させながら読むものでもありますので、文章が
すらすらと一貫した筋を通して続いてゆけば、視線もまた滞ることなく上から下
へと移動することになるわけで、そういう状態を「下る」と表現するのは当然とも
言えるでしょう。ところが、もし意味の通じないところが途中に出てきたらどうなる
でしょうか。意味をとらえようとして、視線は上に戻ったり下に行ったりしてさ迷い、
中々すんなりと上下に移動させることは出来なくなります。「下る」を打ち消した
「下らぬ」が「わけがわからない」「意味がわからない」の意味になったのはそう
いう事情からなのです。
最後に「下り酒」説について。灘や伊丹、伏見など上方産の酒が品質がよかった
ため、上方から江戸へと送られた「下り酒」が江戸の人々からもてはやされたこと
は歴史的事実ですが、それはあくまでも江戸時代の話です。地元関東の酒は
下り酒ではないから「下らない酒」、すなわち「つまらない酒」ということで「下らない」
が「つまらない」という意味になったというのはなるほどお話としてはよく出来ており
ますが、ここまで縷々述べて来た「下らぬ」という語の語史を無視した暴論であり、
結局は「百済無い」同様、民間語源説の域を出るものではないということです。