【韓国】 「くだらない」は「百済ない」、クダラは奈良に比べて「大きな国」の意味~イ・ナムギョの日本語源流散歩29★3[07/22]at NEWS4PLUS
【韓国】 「くだらない」は「百済ない」、クダラは奈良に比べて「大きな国」の意味~イ・ナムギョの日本語源流散歩29★3[07/22] - 暇つぶし2ch596:娜々志娑无 ◆1ONcNEDmUA
09/07/23 15:37:14 LKJNOY/5
イ・ナムギョに限らず<丶`∀´>の語源もどきシリーズにはうんざりを通り越して、
もはやコメントする気さえ起きなくなっているというのが正直なところですが、
「下らない」の語源については日本側も「下り物」から来たとする民間語源説が
いまだにはびこっているのが現状であり、看過出来ないので、久しぶりにコメント
することにします。

そもそも「くだらない」という言い方自体比較的新しいものであることを押さえて
おく必要があります。「くだらない」の語構成はもちろん名詞「百済」に形容詞
「無い」が接続したなどというものではなく、動詞「下る」の未然形に打消しの
助動詞「ない」が接続したものです。打消しの助動詞として西日本系の「ず(ぬ)」
ではなく東日本系の「ない」を使っていることからもわかるように、本来は江戸語
における言い回しでした。文献上では、1827年の歌舞伎『独道中五十三駅』に
「わけがわからない」「意味がわからない」の意で使用されているのが初出の
ようです。用例は以下の通り。

  お株で、下らなくなつてゐるぜ。よくそんなに酒が飲めるの。

この場合の「お株」とはその人特有の癖くらいの意味です。大酒を飲んでべろん
べろんになり言葉が支離滅裂になっている様子を「下らなくなつてゐる」と評して
いるわけですね。現代語における「内容がなくてわざわざ取り上げる価値もない」
「ばからしい」「取るに足りない」という意味はそこからさらに変化したもので、文献
上は1870年代から確認されます。

一方、西日本系の「下らぬ」は京都語が平安京遷都以降長く日本語の共通語と
して君臨していた歴史的経緯もあって、「下らない」よりも早くから文献上に登場
しており、1558年から1570年までの間に成立した惟高妙安の『詩学大成抄』に、

  六七字理ガクダラヌゾ。字ガチガウタカ。

として使用されているものが最も古いものです。それよりやや年代は下りますが、
1604年刊の『日葡辞書・補遺』の「Guiri(義理)」の項でも、

  Cono qiŏno guiriga cudaranu,l,qicoyenu.(この経の義理が下らぬ,または,
  聞えぬ)この経・書物の道理,あるいは,ことをわけて述べた事柄〔意味〕が
  わからない.

と、「下らぬ」が「わけがわからない」「意味がわからない」の意で訳されており、
当時の「下らぬ」の意味が「下らない」の初出時と同様に「わけがわからない」
「意味がわからない」であったことが確認出来ます。「下らぬ」が現代語と同じ
ような意味で使用されたのは、1812年の式亭三馬『浮世風呂』三編に、

  いつまでくさのいつまでも、くだらぬ趣向乃毫(ふで)とりて、又三編はこじ
  つけるとも看官(ごけんぶつ)の興はあらじと、

として見えるのが最古のようです。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch