09/07/17 18:09:58 nqJVlhbm
日本語の「決まる」という言葉、これは優柔不断な日本人がものごとを決める際
そこにキムがあるか、ないかが決め手となっていたためにできた言葉である。
争いがおこったとき、キムがあれば、キム+ある=決まる。
またキムがなければ、キム+得る=決めるという力が働く。
朝鮮が倭に文化を伝える前、日本人は小さな島のなかで動物の角や毛皮といった
原始的な産物を奪い合い争っていた。日本には話し合いといった高等な文明行為がなく、
野蛮な、力だけの世界であった。
しかし、百済が偉大な文化を伝えたとき、日本人は想像のできないほど発達した百済の
文明物にショックを受け、争いをやめ、偉大な百済文明に平伏するようになった。
そして、何事につけ、劣等な倭の風習を決定方針から除き、
偉大な支配者、百済人キムの指示を仰ぐようになった。
日本人が優柔不断なのは、潜在的に倭が朝鮮より劣等であると知っているからであり、
キムがないからであると歴史が証明している。