09/07/09 11:08:04 AFYYUEsL
>>266
>>それを摘発するために無辜の中国人も疑われて処刑される痛ましいこともあった。
推測で書いたんだろうけど、驚くことに↑これすら殆ど無かっただろうとする根拠がある。
・便衣兵の処刑は南京陥落後の3日間で行われ、その後治安は回復した。
・便衣兵狩りは、若い成人男性をひっとらえて、家族や周囲の住民に聞き込みをして、南京在住でなければ、元兵士として処刑するという方法だった。
・便衣兵は顔つきが違い、額に軍帽の跡があった。見た目だけで判ることも多かった。また、現地人とは言葉も通じなかった。
これを踏まえたうえで…
・蒋介石は「南京死守命令」を出していた。
・国民党の報告書によれば、南京に到着した国民党軍は戦力が不足していたので「南京市で兵士を補充」していた。
・外国人の目撃証言によれば、南京防衛には軍服を着た10~12歳の少年兵までもが雑用に狩り出されていた。
・ダーディンの手記によれば「戦えるものは誰でも狩り出されていた」。
・そもそも、シナ軍の戦法とは各地で兵士を現地調達するというもので、非戦闘員と兵士の明確な区別など無かった。南京戦でも同様であった。
・南京城内に入った兵士の日記では「若い者がどこに行ってもいない」ことを驚いている。
つまり、当時の南京では「成人男性≒兵士またはにわか兵士」だった。
「便衣兵として殺された一般人がいる」というより、むしろ処刑されずにすんだ成人男性が、
「もともと南京在住でかばってくれる家族がいたために温情で殺されなかった『にわか兵士→便衣兵』だった」
可能性のほうが大きい。
事実、国際委員会に家族が便衣兵として処刑されたという抗議が寄せられた記録は無い。
伝聞情報で死体の確認されていない殺人事件は数多く報告されていたにもかかわらず。
・治安回復後は、便衣兵と南京市民を区別するための良民票を配り、これがないと食料の補給を受けられないようにした。
これにより、生き残った便衣兵は窮地に追い込まれた。