09/06/28 07:48:46
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▲当時拉致同然に連れて行かれ戦争に参戦、亡くなった日本人(遺族から受けた写真)(c)JPNews
1950年6月25日、北朝鮮の南への侵略で戦争が起きて59年目。血を分けた兄弟同士が殺し合っ
た民族動乱で、休戦ラインが引かれて今日まで互いに和解をできないまま南北が対立している。
その当時、16ヶ国が参戦し、4ヶ国が非戦闘部隊を派遣した。だがこのような参戦国と派遣部隊の
名簿には日本が抜けている。これまで私たちが知っているのは6.25民族動乱当時、日本は、南北戦争の
悲劇を通じて軍需物資を売り、これを踏み台にして高度経済成長を成し遂げたという事実だけだ。
だがその当時、日本を占領していた米国の圧力を受けて大規模な日本軍が参戦したという事実はそ
れほどよく知らされなかった。JPNewsでは10回にかけて、当時日本軍がいつ、どのような形態で、ど
れだけの規模で6.25戦争に参戦したのかその実状を暴くことにする。
「私たちは他国(6.25戦争)のために命をかけて戦争をする理由がない。新しい憲法によれば戦争(太
平洋戦争)はすでに廃棄されたが、なぜ再び私たちが戦場に出て行かなければならないのか?また、
私たちはもはや軍人ではない。日本の再建のために日本海峡の地雷を除去する市民しかいない。私
たちは他国のために再び戦場に出て行くことはできない。」
この言葉は1950年10月初め、日本軍が6.25朝鮮戦争(当時の日本表現)に参戦して、一部日本軍
が日本政府と米軍に向かってした話だ。1950年10月2日、当時日本の初代海上保安庁(1948年発
足)長官だった大久保武雄は、米国のアーレイ・A・バーク(Arleigh A. Burke)海軍少将とジョイ・ターナー
(Joy Turner)中将に召還された。
ここで日本の長官が駐留軍幹部に召還されたことは、その当時日本がそれしか方法がない境遇に置
かれていたためだった。1945年8月15日、日本は米国との戦争で敗れた後、マッカーサー将軍が率
いる連合司令軍(GHQ)により占領された。言ってみればGHQによる準植民地国になったのだ。だから
日本国民らが「天の神」と持ち上げ、自殺特攻隊も拒まなかったヒロヒト日本国王も、マッカーサー将
軍が来いと命令すれば何の抵抗もできないまま訪ねて行かなければならなかった。
戦争世代や戦後世代の中年層の日本人たちはまだこの瞬間を忘れることができない。日本天皇(日
本人たちの表現)の最大の屈辱の瞬間だと考えているのだ。実際にヒロヒト日本国王がマッカーサー
の事務室に訪ねて行って、謁見(?)する姿はその当時、日米国の報道機関のトップニュースを飾り、こ
の写真を見た多くの日本人たちが大声で号泣をしながら敗戦の辛い痛みを再確認したという。
とにかく大久保長官は二人の米軍将校に呼ばれて、青天の霹靂を聞くことになる。「可能な限りす
べての掃海艇を集めて下さい。それで我が米軍と共に朝鮮半島の東海(日本海)沿岸と、西海(ソヘ)
の仁川(インチョン)沖合い進入路、そして港にある水雷を除去して下さい。これは絶対に秘密にしな
ければならない極秘事項です。」その場で大久保長官は即答できなかった。言い換えればそれは6.25
朝鮮戦争に参戦しろという言葉に違わなかった。したがって絶対に一人で決めることはできない途方
もない国事であった。
しかも日本は米国との戦争に敗戦するやいなやGHQによって、財閥解体はもちろん日本軍も強制的
に解体された。もちろん警察予備隊があったがそれはあくまでも国内治安のために作った組織だった。
それなのに朝鮮戦争に参戦とは。
(>>2-5に続く)
ユ・ジェスン記者
ソース:(韓国語) 旧日本軍、6.25韓国動乱に大規模参戦した(1)日本参戦、どのように決定されたか
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