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(>>1の続き)
■オフィスに並ぶサムスン製テレビ
眠気をもよおす潘効果は、事務総長としても発揮された。ある国連ウォッチャーは私に、潘は有名な
哲学問答にある「誰も見ていないところで倒れた木」のようだと語った。誰も聞く者がいないなら、
木は倒れる音を発しなかったのと同じだが、潘の場合も同様に、何も言っていないのに等しいというわけだ。
オフィスの壁にサムスン電子の薄型テレビを並べ、上級顧問に韓国人の仲間たちを選ぶなど、
韓国経済の利益を図ったという点を除けば、彼の足跡はほとんど無視できるほどでしかない。
潘でさえ、自分にどれほど存在感がないか気づいているようだ。08年8月、イタリアのトリノで
国連幹部を相手に潘は、国連内に蔓延する官僚的な無気力症を克服することの難しさを嘆き、
最後は格言を引用して敗北を認めた。「私は自ら範を示して指揮しようとしたが、誰もついてこなかった」
国連事務総長はうまくいけば、世界の良心を刺激して変化のための真の触媒になれるはずだ。
たとえば50年代に事務総長を務めたダグ・ハマーショルドは、ニュース価値が高くしかも
しばしば危険な使命を担うことで、国連の役割を拡大しようとした。
ハマーショルドは毛沢東政権下の中国指導者たちと会い、朝鮮戦争の間に捕虜になった15人のアメリカ人
を解放させ、非植民地化の過程のコンゴが内戦に陥るのを防ぐため数度にわたって現地を訪れた。
80年代に事務総長を務めたハビエル・ペレス・デクヤエルは、フォークランド紛争でアルゼンチンとイギリス
の調停役を務めたことや南アフリカが実効支配していたナミビアの独立を支援したことで称賛を浴びた。
今までのところ、潘にそうした実績はない。まるで、彼が名を上げるのに足るだけの危機が
今の世界には存在しないかのようだ。スリランカ、スーダン、中東と出番はいくらでもあるのだが、
こうした国や地域に影響を及ぼそうとする気配もない。そんな気があるかどうかさえ怪しいものだ。
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