09/07/21 09:49:16 F7mG2xN2
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ご存知の通り、大湾子で殺害された1万3千5百人は一旦は捕虜として受け入れ、食事まで提供しているのですから。
その意味でも両角氏はまったく(当時としては珍しく)正しい捕虜の受け入れを行なったのだと思います。
大湾子で殺害された捕虜は投降してきた兵隊が殆どです。
なぜ同時期に全て殺害したかは入城式の日取りを決定されたので、それまでに捕虜の処分について決定する必要があった、
というのが一般的です。
それで松井氏はその部分で責任があるみたいな言い方をしますね。
虐殺とは親父も手帳に書いていますが、惨たらしい殺し方、ですから。
当時は軍の正規の行為として行なったことですが、主権者が違う戦後では虐殺という呼び方も止むを得ないでしょう。