09/06/18 22:34:38
「天の下、人はみな平等だ」とする私たちの人乃天思想(訳注:人が即ち天であるという考え方)が日
本では全く合わない。いやむしろ日本は君と私は同じ人でないという認識がさらに深い。
日本人たちはお互いの間に越えられない線があって、階段があって、壁があると考える。金持ちなら
ば金持ちらしく生きて、貧しければ貧しいように生きなければなければならないと考える。そのためか、
彼らは人が良い暮らしをしても、腹を痛がったりねたましく思わない。
終戦後、日本が困難だった時、池田首相は「貧しい者は麦飯を食べろ」と言ったが、日本人たちはこ
の言葉に反発どころか当たり前であるお言葉として、首相の「名言録」に登録までした。昔は侍が通
り過ぎる時、見えるようにお辞儀をしなかったり何かの誤りがある時は容赦なく刀で切ってしまう厳格
な「サムライ・ルール」があった。
それなら平民はどうして屈従の歴史を黙々と耐えて今日に至ったのだろうか?そこにはもう一つの奇
妙な「サムライ法則」がある。それは名誉と富と権力を共に持たないという暗黙のルールで「サムライ
は名誉、君主は権力、商人は富」を重視してこれらを兼ねて持たないという分離の法則だ。権力を持
った者は名誉とお金を決して追求せず、サムライも刀で平民らの財産を収奪しない。
「武士は食わぬと高楊子」ということわざのように、サムライらは名誉を自分の生命よりさらに大切にし
たのだ。
それならこの「サムライ(侍)」という言葉はどこからきたのだろうか?それは言うまでもなく韓国語「サ
ウラビ(戦う親父)」が変化した言葉だ。「戦う」を日本語で表現すれば「タダカウ」(争う)と言い、これは
「タダク」(叩く)すなわち、太鼓を「たたく」から派生した言葉だ。従って「たたく」は殴ることで、これは戦
いが上手なことを意味し、そのような子供を「サウル・アイ(争う子供)」というが、これが「サウラビ(戦
う親父)⇒侍」になったのだ。
ところでこのようなサムライの精神は新羅の花郎道(ファランド)精神に起因した点が大きい。花郎道
の「花郎五戒」とは事君以忠、事親以孝、朋友有信、臨戦無退、殺生有択で主君に仕えることにおい
ては忠、父母には孝、友人と交わることには信、戦いに出れば退かず、殺生は選別をするという言葉
だ。このような花郎精神は道徳が緩んだ今日、私たちの社会がもう一度吟味して実践しなければなら
ない生活の徳性ではないだろうか。
慶一大総長・イ・ナムギョ
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ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩24]花郎道(ファランド)と侍
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★1の立った時間:2009/06/17(水) 22:19:55