【論説】破滅的で荒々しいカンヌ映画祭…「性欲処理用の人形」を演じた韓国人気女優、日本人女優にこの難役を引き受ける人はいるか[6/12]at NEWS4PLUS
【論説】破滅的で荒々しいカンヌ映画祭…「性欲処理用の人形」を演じた韓国人気女優、日本人女優にこの難役を引き受ける人はいるか[6/12] - 暇つぶし2ch1:諸君、帰ってきたで?φ ★
09/06/12 08:00:07
 世界3大映画祭の一つ、カンヌ国際映画祭は今年で62回目。5月13~24日の期間中、荒々しい暴力とセックスを執拗(しつよう)に描く
作品が何本も上映された。閉塞(へいそく)した世界の中で失われていく生の実感を肉体の接触によって回復しようと試みたのか。いずれも
破滅的だったのは、回復の困難さに直面したせいか。カンヌも世界不況の波をかぶり、お祭りとしては控えめだっただけに、スクリーンの中
の大荒れぶりが際立っていた。

 メーンのコンペティション部門への出品作は20本。このうち、デンマークのラース・フォン・トリアー監督「アンチキリスト」は性器の損壊を
大写しした。フィリピンのブリリャンテ・メンドーサ監督「キナタイ」はバラバラ殺人をことさら残虐に見せた。フランスのギャスパー・ノエ監督
「エンター・ザ・ボイド」はCGを使って男女の営みを肉体の内部から描いた。

 性の官能や肉体がぶつかり合う痛快さなど、はるかに通り越し、醜悪で不快、そして時にこっけい。試写会場からはうめき声や失笑が
漏れ、ブーイングがこだました。

 だが、「そこまで表現する必要があるのか」という問いかけは意味がない。カンヌは元々、そういう場なのだ。フランスの詩人ジャン・コクトー
はかつて、カンヌを評して言った。「非政治的中立地帯であり、人々が同じ言葉で直接語り合ったら、そうなるだろう小宇宙」と。
(中略)
 その中で日本映画の影は薄かった。肉食獣のように凶暴な表現は、奥ゆかしく中庸を尊ぶ日本文化にそぐわない。とはいえ、これほど
アクの強い作品ばかり見せられると、「日本ももう少し大胆になってもいいのでは」とも思う。

 「ある視点」部門に出品された是枝(これえだ)裕和監督の「空気人形」は、男性の性欲処理のための人形が心を持って動き出すファンタジー。
韓国の人気女優ペ・ドゥナが人形を演じた。表現は穏やかなものだが、ペはごく自然に全裸のベッドシーンを演じた。

 是枝監督がぺの大ファンという事情を別にすれば、主演が韓国人女優である必然性はなかった。しかし、アイドル性とエロスを併せ持つ
難役を引き受ける日本人女優がいるだろうか。たとえ本人がやる気になったとしても、周囲が許さないだろう。
(中略)
 カンヌは抑圧に抗して映画を作る監督に大いなる共感を寄せ、連帯の姿勢を見せる。しかし、日本で“大状況”を見つけることは難しいし、
作り手側は踏み込むことに及び腰だ。タブーに触れれば過剰反応も引き起こす。ドキュメンタリー「靖国 YASUKUNI」を作ったのは
中国人のリー・イン監督だったし、映画は上映自粛問題に発展した。

 もっとも、今の日本映画界でより深刻なのは、市場の圧力かもしれない。総興行収入は2000億円。数字の上では世界有数の映画大国だ。

 しかし、実は日本人はあまり映画を見ない。1人が1年間に見る映画は平均1・2本。これに対し、米国は4・8本、韓国は3本、フランスは
2・9本、英国は2・7本。日本は入場料が高いため、総興収が大きくなっているだけなのだ。年に一度の楽しみとしてしか映画を見ない
観客が相手では、冒険や挑戦に二の足を踏むのも無理はない。

 だが、それでは毒にも薬にもならぬ映画ばかりになってしまう。時には批判覚悟で世界に打って出る日本映画を見てみたい。かつて
大島渚監督は「愛のコリーダ」で極めて大胆な性描写に挑み、カンヌに出品。世界に衝撃を与え、名声を確立した。

 米映画「バベル」で思い切った演技を見せ、07年のアカデミー賞助演女優賞候補になった菊地凛子は今回、スペイン映画「マップ・オブ・
ザ・サウンズ・オブ・トウキョウ」に主演して、カンヌの赤じゅうたんを歩いた。果敢な挑戦なくして飛躍は望めない。

 作り手には蛮勇を、観客には寛容さを。日本映画の多様性と成熟のために、それを期待するのは不謹慎だろうか。

ソース(毎日新聞、東京学芸部・勝田友巳氏)
URLリンク(mainichi.pheedo.jp)


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