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【韓国/コラム】李南教の日本語源泉散歩21回~”悲しみ”の語源は”貧乏民”[05/29] - 暇つぶし2ch1:壱軸冠蝶φ ★
09/05/29 11:14:23
ソース:韓国毎日新聞(ハングル記事を記者が翻訳)
URLリンク(www.imaeil.com)

人間の悲しみはどこから来るのだろう? 別離のような精神的な苦痛から来る悲しみよりも
さらに悲しきことがあるとすれば、それは生存本能である衣食住の問題を解決できずに
起こる悲しみだろう。衣食住が解決されないことを一言で言えば'貧乏'である。

文明が発達した今日でも一日に1ドル未満で生活する人々が地球の人口60億中に15億人
もいるという事は'貧乏'は人類永遠の宿題なのかも知れない。そういった中でももっと深い
悲しみに沈んで生きて行く人々がいれば、それは自分の住んだ家や故郷や国から生命の
脅威を感じ、何も持てないまま古代に日本へと渡った伽揶族や多くの渡来人たちも厳密に
計算すればこれに当たるだろう。当時日本へと渡った人々を'渡来人' または '帰化人'と
呼ぶが、現代から見れば実は最初の'ボートピープル'となるわけだ。

今まで幸せに暮してきた生活の基盤を全て失い、新たに始まる新天地の生活では多くの
困難があっただろう。荒れ地を開拓し、全てを一から再び始めなければならない。それこそ
暮らすという原初的な生に、生命の脅威を感じながらもその日その日をかろうじて暮した
彼らにとって '貧乏'こそ '悲しみ' そのものではなかったのだろうか? そのため '貧乏'と言う
言葉は日本に渡り 'スルプム(悲しみ)'と言う意味の ”カーナーシミー(悲しみ)(訳注:貧乏
民という意味)”という言葉に変わるようになった。

'言葉には魂がある'という言葉を振り返り見て '貧乏'と '悲しみ'と言う言葉を当てた古代の
渡来人たちの痛切な心情をうかがい知ることが出来る。

子供は育ち大人になると言うが、まったく最近の子供達はさらに早熟のようだ。子供が
幼い頃は'こんな子がいつ大きくなるか?'とっ言ているが、10代にもなれば声も変わり結構
背も伸びて、そんな子供たちを見'大きくなった'と言う。

ここでの '大きくなる'とは、日本語で”たくましい”だ。 これは'凛凛しい。雄雄しい'という意味
である。それだけ大きくなった子供達は古代では山へ行き獣を捕るとか、敵と争って勝た
なければならず自然と荒しくなるのだが、ここでの '荒しい'は日本語で'凄まじい”であり
'恐ろしい、凄い、驚くべき'であって、その意味はさらに強まっている。

このように国語は海を渡ればその意味が深くなり増幅されつつ強まるのだが、これは恐らく
古代渡来人たちの生活ぶりと深い関連、関係があるようだ。

このように悲しい 'カーナシミー'が奮起して 'たくましく'、 '凄まじい'に変貌していった古代渡来
人たちの進取的だった人生に力強い拍手を送りたい.。夕陽が地に沈んでいくのを眺めて
'ダジョガネ(押し固めていく)'とつぶやいた言葉が、遠く故国を描く香水が添えられ'夕暮れ'と
言う意味の'黄昏'という言葉を作った古代の旅人たちに一度会ってみたい。そしてタイムマシ
ーンでも出来たら、そのように切なく暮らした故郷の山河を一度見せてもらいたい。

URLリンク(www.imaeil.com)
李南教 慶日大総長


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